カムヤマトイワレビコの東征

東征のはじまり

ウカヤフキアエズノミコトから生まれた四柱の御子のうち、四男の神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)と長男の五瀬命(イツセノミコト)は、日向の宮殿で相談しておられました。

「このまま日向にいたって
仕方が無いと思うんだ。」

「兄さん、いよいよ行くのですね。東に!」

「うむ。この国を治めるには
もっとふさわしい場所があると思うんだ。
弟よ、協力してくれるかい」

「兄上、もちろんです!」

こうしてイツセノミコトとカムヤマトイワレビコの兄弟は軍勢を率いて日向(ひむか)から舟に乗って出発し、まず豊国の宇沙に着きます。

「御子さま、どうぞお食事を」
「お口にあいますかどうか…」

宇沙では服従のしるしに盛大な歓迎を受けました。その後、筑紫の岡田宮(おかだのみや)に一年、安芸国 多祁理宮(たけりのみや)に七年、吉備の高島宮(たかしまのみや)に八年留まりました。

神武東征
神武東征

その後、さらに東へ向かう途中、速吸門(はやすいのと)という海で、「おーい」と声がしました。声のほうを見ると、亀にまたがった老人が袖を振り振り、海の上を近づいてくるのでした。

「なんじゃお前は?」

「私は国つ神です。海の道は見知ったるものです。
御子さま、私を使ってみませんか?
御子さまのお役に立ちたいのです」

老人はうやうやしく頭を下げます。

「ふん、面白そうなじいさんだ。いいだろう。
棹をつたってこい」

舟から棹を老人のほうに伸ばして、老人が棹をつかんで、
舟に乗り移りました。

これにちなんで、老人の名を
槁根津彦(さおねつひこ)と名づけました。

イツセの死

さらに東への旅は続きます。

浪速の津(大阪湾)を過ぎ、白肩(しらかた)の津に泊まった時、
登美(とみ 奈良市)の豪族ナガスネビコが軍勢を率いて攻めてきました。

「戦だッ、戦ーーッ!!」

ヒュン、ヒュンヒュンッ…!

双方、矢を射合います。

「ぐおおーーーッ!!」

ドカドカドカーー

五瀬命はみずから先頭に立って駆けていきますが、

ヒューーーードスッ

「ぐはあ!!」

その手に、敵の矢を受けてしまいました。

「兄上!!」

「大丈夫だ弟よ。なんの、これしきの傷…つうッ!!
太陽の神の御子が、太陽に向かって戦ったのが
よくなかったわい。下郎の矢を食らうとは!!
迂回して、太陽を背にして敵を討つ」

バカラッ、バカラッ、バカラッ

「ああっ!兄上、無茶な…!!」

イツセノミコトは海で手の血を洗い、その場所から
迂回して紀伊国(きのくに)の男之水門(おのみなと)に着きますが、
力尽きてしまいました。

「ぐぬう。下郎から手傷を受けて死ぬとは…
無念!」

バッタァーー。

こうしてイツセは息絶えました。
以後、遠征軍はカムヤマイワレヒコが率いることになります。

≫つづき【八咫烏の導き】

解説:左大臣光永
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