垂仁天皇(三)常世の国の木の実
また天皇は、三宅連(みやけのむらじ)らの祖先で、
名をタヂマモリ(多遅摩毛理)を召しだし、おっしゃいました。
「タヂマモリ。海の向こうの常世の国には、
昼といわず、夜といわず、常に光を放つ
木の実があるという。行って取ってまいれ」
「ははっ」
こうしてタヂマモリの航海がはじまります。幾多の苦難を越え、
ついに常世の国に至ったタヂマモリ。
「おお。これが常世国の木の実か」
なるほど、昼といわず、夜といわず、常に淡い光を放っています。
見ているとぼうっとするほどの美しさです。
タヂマモリは葉がついたまま折り取った枝や、
葉が落ちて実だけになったのを折り取った枝を八組持って
ふたたび船に乗ります。
しかし、大和へ戻ってきた時すでに天皇は崩御あそばされていました。
そこでタヂマモリは、その持ち帰ってきた葉がついたまま折り取った枝や、
葉が落ちて実だけになったのを折り取った枝を二組に分け、
一組を皇后に献上し、一組を天皇の陵の戸口に置いて、
叫び泣いて、
「常世国の木の実をとってきましたぞーッ」
と、ついに叫び泣いて死んでしまいました。
その常世国の木の実は、今の橘のことです。
この天皇は御年153歳。御陵は菅原(奈良市菅原町)の御立野の中にあります。
奈良市尼ケ辻町字西池の宝来山(ほうらいやま)古墳がそれだと見られています。
古墳を囲む堀の中には、タヂマモリの墓とされるものもあります。
鑑真和上で有名な唐招大寺の、すぐそばです。
解説:左大臣光永