雄略天皇(一)ワカクサカベノミコへの求婚

雄略天皇は長谷(はつせ)の朝倉宮(あさくらのみや)で天下を治められ、
皇子が一人(22代清寧天皇)、皇女が一人ありました。

長谷は現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)周辺。
朝倉宮は奈良県桜井市脇本遺跡のことだと見られています。

天皇はお若い頃、後の皇后に求婚するため行幸しました。
大和からまっすぐに生駒山を越えて、河内の日下に向かわれました。

「おおお…いい景色じゃ。天下泰平。まっことよきことよきこと」

生駒山の上から眼下の景色を見下ろし、
満足げにあごひげをひねる雄略天皇。

その視界に、とても不愉快なものが映りました。
そこで雄略天皇は、臣下の者にお尋ねになります。

「おい、あれは誰の家だ。えらそうに。鰹木を備えた屋敷とは」

「ははっ。志木の大県主(おおあがたぬし)の館です」

「なにい。下郎の分際で天皇家並の館を建てるとは。
許せん。焼き払え」

大県主は天皇の前で地面に頭をこすりつけて謝罪します。

「お許しください。お許しください。
これはお詫びのしるしです」

大県主は布を白い犬にかけ、
その犬を一族の腰佩(こしはき)という名の部下に
ひっぱらせ、これを天皇に献上しました。

そのため、天皇は火をつけることをお止めになりました。

天皇はすぐに河内の日下に、
皇后となる若日下部王(ワカクサカベノミコ)のもとに
おいでになり、その犬を下しました。

「この犬は、ここに来る途中に手に入れたものだ。
めずらしい犬なのだ。求婚のしるしに、お前に与えよう」

犬を下された若日下部王は、天皇に返事を奏上しました。

「太陽を背にしてこられるなんて、畏れ多いことです。
なので、私のほうから参上してお仕え申し上げます」

返事を受け取った天皇は、

「そうか。後日大和で会おうということじゃな。
待ち遠しいことよ。今日は引き上げるとしよう」

天皇一行は生駒山を大和の方角へ引き返していきましたが、
山頂から、なお日下の方角を振り返り、歌を詠みました。

日下部《くさかべ》の 此方《こち》の山と
畳薦《たたみこも》 平群《へぐり》の山の
此方此方《こちごち》の 山の峡《かい》に
立ち栄《ざか》ゆる 葉広熊白檮《はびろくまかし》
本《もと》には い茂《く》み竹生ひ
末辺《すえへ》には た繁竹《しみだけ》生ひ
い茂《く》み竹 い隠《く》みは寝ず
た繁竹《しみだけ》 確《たし》には率寝《いね》ず
後も隠《く》み寝む其《そ》の思ひ妻 あはれ

日下部のこちらの山(生駒山)と
平群山のあちらとこちらの山の渓谷に、
生い茂っている葉の広い熊樫。

その根元には竹が密生し
その梢の方には竹が生い茂っている。

あの竹のように思いっきり
共寝することはできなかったのが残念だが、

後日、きっと共寝しようぞ。愛しい妻よ。ああ。

すぐにこの歌を臣下の者に持たせて、
若日下部王のもとに遣わせました。

≫つづき【雄略天皇(二)八十年待った赤猪子】

解説:左大臣光永
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