雄略天皇(二)八十年待った赤猪子

八十年待った赤猪子

またある時、天皇が遊びに出かけ、三輪川(三輪山山麓)に至った時、
河のほとりに洗濯をしている少女がいました。
とても美しい少女でした。天皇は思わず声をおかけになります。

「お前は誰の子か」

「私の名は、引田部赤猪子と申します」

しばらく話をしているうちに、とても気立てのよい少女だと
思ったので、天皇はおっしゃいました。

「お前は、嫁に行かずにおれ。
後日、召し出そう」

「天皇のもとに召される!」

赤猪子は興奮して、申しつけられたとおり、
結婚はしないでおきました。私は天皇のもとに召されるのよ、
すごいでしょなどと周囲に自慢してまわったかもしれませんね。

しかし、一週間しても呼び出しはかからず、
一ヶ月しても呼び出しはかからず、
一年してもダメで、とうとう八十年の月日が過ぎてしまいました。

「お召し出しを待っているうちに、こんなにも多くの時間が経ってしまった。
もうよぼよぼのおばあちゃんになっちゃったわよ。
今さら、もうどうにもならない。でも、このまま気持ちを表さずに
死んでいくのは、耐えられないわ」

そう思った赤猪子は、たくさんの引き出物を召使に持たせて、
天皇のもとに参上しました。

「なに、赤猪子?そんな者に知り合いがあったかのう」

天皇はすっかりお忘れでした。なにしろ80年も昔の話です。
覚えていろというほうが無理な話です。そこでおっしゃいました。

「お前はどこのばあさんだ。何の用があって来たのか」

「某年某月、天皇のお言葉を受けて、
お召しだしをお待ちして、今日まですでに80年を経ました。
すでによぼよぼのばあさんです。どうにもなりません。しかし
気持ちをあらわさないで死んでしまうのも納得できませんから、
参上したまでです」

天皇は、言われて、はて…そのようなことがと首をかかげましたが、
ああ!!ああ…そういえば若い頃、河のほとりで。
たしかに女子に声をかけた覚えがある。お前があの時の女子か。
まさにあの時の女子です。

「おお、おお、すっかり忘れておったわい。これは不憫なことをした。
それにしても80年。操を守り抜き、召し出されるのを待って
あたら女盛りの年を過したこと、まことにいとしく不憫なことよ」

天皇は約束どおり結婚してやりたいとも思われましたが、
80歳ではそれもかなわぬと残念がり、歌を詠みました。

御諸《みもろ》の 厳白檮《いつかし》が下《もと》
白檮《かし》が下《もと》 忌々《ゆゆ》しきかも
白檮原童女《かしはらおとめ》

(三輪山の神聖な樫の木のように、あなたは近寄りがたく
神聖に思える。だからとてもあなたと結婚なんて畏れ多くて、
できない)

また、歌いました。

引田《ひけた》の 若栗栖原《わかくるすばら》 若《わか》くへに
率寝《いね》てましもの 老いにけるかも

(引田の若々しい栗林で、若い時、あなたと共寝しておけばよかったのに。
私は老いてしまったなあ)

「ううう…天皇、そのようなおっしゃりよう、
あまりでございます」

ぶわっとあふれ流れた赤猪子の涙は、その袖をしとどに濡らしました。
そして赤猪子も詠みました。

御諸《みもろ》に 築《つ》くや玉垣《たまかき》 つき余し
誰《た》にかも依《よ》らむ 神の宮人《みやびと》

(三輪山の神の社の玉垣。長年にわたって神にお仕えしてきた巫女のような
私が、いまさら誰を他に頼れましょう。貴方のほかには頼れないのです)

また詠みました。

日下江《くさかえ》の 入江の蓮《はちす》 花蓮《はなはちす》
身の盛《さか》り人 羨《とも》しきろかも

(日下江の入江の蓮の花のような、若く盛んな皇后さまが、
うらやましいです)

結局、多くの品々を赤猪子に与えて、返しました。

≫つづき【雄略天皇(三)吉野の童女・阿岐豆野・葛城山の大猪】

解説:左大臣光永
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