イザナミ・イザナギ 黄泉の国
イザナギは黄泉の国に続く長く暗い洞窟を降りていきます。
たいへん長い間歩いていくと、目の前に大きな石の扉が現れます。
真っ暗で何も見えないのですが触った感じで扉とわかるのです。
これが黄泉の国の入り口だろうと、イザナギは声をかけます。
「愛しい妻よ、いたら返事をしておくれ。
私たちの国づくりはまだ終わっていないのだ。
一人で死ぬなんて、あんまりだ。ひどいよ」
「あら、あの声は」
黄泉の国にいたイザナミは、なつかしい夫の声を聞いて、
扉の内側までやってきます。
「あなた、お懐かしいです。でも、もう遅いのです。
私はもう黄泉の国の火と水で炊いたものを食べてしまいました。
黄泉の国の住人なのです。もう帰れないのです」
「そんな、せっかく来たのだから、
せめて一目だけでも。なんとか、ならんか」
「…そうですね。せっかく来てくれたのだもの。
ちょっと黄泉の国の神様に頼んできましょう。
そこで待っていてください。あ、
待っている間けして中を覗かないでくださいね」
イザナミはこう言って中に引き上げていきました。
イザナギは愛しい妻に会えると、ワクワクして待っていました。
ところが、いくら待ってもイザナミはなかなか出てきません。
とうとうガマンしきれなくなって、
イザナギはコッソリ扉を開けて、
中に入っていきました。
中はいよいよ真っ暗で、何も見えません。
イザナギは頭にさしていた櫛を取って、その歯を一本折り、
それに火をつけ、あかりとしました。
暗い黄泉の国を歩いていくと、なんとも言えない、
腐ったようなニオイが漂ってきます。
「くんくん…なんだこりゃ?」
じゅくじゅくじゅくじゅく。
何か這い回っているような音がします。
「なんか…やな感じだな」
イザナギがおそるおそるそちらに火を向けると…
「ひ…!!」
何か、肉の塊のようなものに、
びっしりと蛆虫がとりついています。
血と膿がドロドロと流れ、それがよく見るとかすかに動いて、
息をしているのです。
「あ、…ああっ!!」
それは変わり果てたイザナミの姿でした。
体のあちこちに腐ったような、半分溶けたような、
小さな雷神がへばりついています。
イザナミはイザナギをギロリと睨み付けます。
「だから見ないでといったのに。
こんな姿、見られたくなかった!」
「うわぁぁぁーーっ!!」
イザナギノミコトは一目散に逃げ出します。
黄泉の国の扉を出て、長い道をひたすら逃げます。
「逃がすなーー!!」
イザナミの一声で、
たくさんの黄泉の国の化け物が飛び出し、
イザナギを追います。
うわーーっぎゃおーっ
すさまじい声です。
イザナギは必死で髪の毛にさしてあった
つる草の髪飾りをほどくと、後ろに投げつけます。
するとつる草はするするすると伸びて、
そこにたくさんのぶどうが実ります。
「うぃひゃ食いモンだぁー」
意地汚い黄泉の国の化け物は夢中になって
ぶどうをむさぼり食いました。
イザナギはそのスキに逃げます。
でもすぐに追ってきます。そこで、
今度は髪の毛にさしてあった櫛を取って、
バキボキとその歯を折り、後ろに投げつけます。
櫛の歯は地面に落ちるとムク、
ムクとふくらんで、美味しそうな竹の子になります。
「ひっひゃ食いモンだぁーー!」
意地汚い黄泉の国の化け物どもは
また夢中になってむさぼり食いました。
イザナギはそのスキにずいぶん距離をかせぎ、
もう追いつかれることはあるまいと息を整えていました。
一方のイザナミは怒り狂います。
「キーーッ、あの者どもの頼りにならないことといったらッ!!
もうこうなったら、絶対に許さないからーッ!!
来たれー!黄泉の国の軍団ッーー!!」
イザナミの一声で、さっきイザナミの体に
へばりついていた八匹の雷神を中心に
何千という黄泉の国の軍団が押し寄せてきました。
イザナギは必死になって腰から十掴の剣を抜き、
後ろ手に振り払い振り払い、
追ってくる雷神の首をはね、また首をはね、
もう無我夢中で地上に続く洞窟を駆け上っていくと、
ようやく光がさしてきて、
これぞ黄泉の国の境、
黄泉比良坂(よもつひらさか)ですが、
後ろからはワァワァ言って黄泉の国の軍団が追ってきます。
あーっ、もうこれはダメだと思った時に、
黄泉比良坂の道端に生えている桃の木に目が止まります。
桃は魔物をはらうというので、
ああ何とかしてくださいと、
イザナギは夢中で桃をもぎ取り、
「く、くるな、くるなーー!!」
ぶんぶんと桃を投げつけます。すると…
「ぐぎゃぁぁぁぁ!!」
黄泉の国の軍団は、散り散りになって逃げていきます。
これこそ桃のご利益です。桃の霊力です。
桃によって軍団も逃げてゆくのです。
(ははは、これは楽勝だ)
イザナギはちょと面白くなってきて、
いくつもいくつも桃を放り投げます。
「ああ!なんて憎たらしいッ!!」
とうとうイザナミノミコト本人が追いかけてきます。
だが、時すでに遅し。
イザナギは千人の人間が引かなければ
動かないような大きな岩で、
黄泉の国の入り口をふさいでしまいました。
イザナミが追いついた時は、
黄泉の国と葦原の中つ国はその千曳の岩で、
でんと隔てられてしまっていたのです。
岩をはさんで向かい合うイザナギとイザナミ。
イザナミはぎゃあぎゃあとわめきちらします。
そこでイザナギは容赦なく言います。
「お前をッ、離縁するーーッッ!!」
ガックリとうなだれるイザナミ。
ショックの後は怒り、憎しみが襲ってきます。
「離縁などと。ようもようもおっしゃいましたな。
にくたらしい方。よう覚えておきなさい。
あなたがそのようなことおっしゃるなら、
あなたの国の人間を毎日千人ずつ、しめ殺してくれましょうぞ」
「おうおう、好きにするがええ。
そんならワシは毎日1500人の人間を生むまでのことじゃ」
こうして、この世では毎日1000人が死に
1500人が生まれるようになりました。
地上に戻ったイザナギノミコトは、
黄泉の国に行って穢れた体を清めるため、
水に体をひたしてみそぎをなさいました。
その時イザナギが左目を洗うと
アマテラスオオミカミという
光輝く女神がお生まれになります。
右の目を洗うと清らかに輝く月読の命(ツクヨミノミコト)が、
鼻を洗うとたくましいスサノオノミコトがお生まれになります。
イザナギはこの三柱の神の誕生を、大変喜ばれました。
そして天照大神には高天原を、月読尊には夜の国を、
スサノオノミコトには海原を、
それぞれ支配させることにされたのでした。