那須大八と鶴富姫

平清盛の孫鶴富姫(つるとみひめ)は
壇ノ浦の戦いで平家が滅びた後、
わずかなお供とともに宮崎県の山中まで逃げ延びてきました。

たいへんな山奥です。
ホウホウとふくろうが鳴き、狼でも出そうな雰囲気です。

「はあ…逃げ延びたのはいいけれど、
こんな山奥で、これからどうやって生きていけるのかしら」

「姫さまご安心ください!姫さまの御身はわれらが命にかえても
お守りいたします!」

お供の侍たちはそんなふうに気合を入れていましたが…
鶴富姫一行は村の人々に快く受け入れられます。

農作業を教えてもらって、また住まいを提供され、
こっちもご恩返しがしたいということで
土地の人たちに都の遊びを教えます。

歌ってのはこう作るんです、笛はこう吹くんです、
または地元の子供たちから田舎の遊びを教わったり、
お侍さんこま回しヘタだなあ、
そうかいヘヘなんていって、
すっかり村の生活になじんでいきました。

食べ物はうまいし空気は綺麗。
人の心はおおらかで、なるほど戦はつまらん。
やあやあ我こそはなんて大声を上げて、
アホらしいことであった。

しかし、

そんな平和な山中にも源氏の討手がやってきます。

那須大八郎。

かの屋島の戦いで扇の的を射た、
那須与一宗高の弟とされる人物です。

「この村に平家の落人が逃げ込んだようだ。
隠すとためにならん。差し出せい」

「ああ…これでは村の方々に迷惑がかかってしまう…
私です。私が平清盛の孫娘です。
供回りの者には何の罪もありません」

しかし村人たちが

「この方たちはとても平和な人たちです。
子供たちともよく遊んでくれます」

ワアワア言い出します。そこで那須大八郎、

(うーん急ぐことではなし、しばらく様子を見るか)

村でしばらく生活しているうちに
食べ物はうまいし空気はきれい、人の心はおおらかで、
なるほど戦はつまらん。やあやあ我こそはなんて大声を上げて、
アホらしいことであった。

那須大八郎、しまいには
平家のお姫さま鶴富姫といい仲になり
子をもうけたという、
宮崎県臼杵郡椎葉村につたわる平家の落人伝説です。

宮崎県につたわる民謡「ひえつき節」は
鶴富姫と那須大八郎宗久のことを歌っています。

庭の山しゅうの木 なる鈴かけて
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれよ

鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ
駒(うま)に水くりょと 言うて出ましょ

おまえ平家の公達のながれ
おどま追討の那須の末

那須の大八 鶴富置いて
椎葉たつときゃ 目に涙

泣いて待つより 野に出て見やれ
野には野菊の 花盛り

解説:左大臣光永
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル