お盆のはじまり

夏といえばお盆。お盆といえば帰省ラッシュ。
もはや毎年の風物詩ですね。

お盆は、もともと旧暦の7月15日を中心に行われていました。

明治5年に太陽暦にかわってからは東京では
旧暦の日付をそのまま新暦にあてはめて7月15日前後をお盆としました。

一方、東京以外のほとんどの地域は旧暦の7月15日に近い
8月15日前後をお盆としました。

このため東京と地方ではお盆の時期にズレがあり、
帰省ラッシュもある程度は緩和されているのかもしれません。

お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といいます。
盂蘭盆会は「逆さ吊り」を意味するサンスクリット語「ウラバンナ」を
漢字で書き写したもので、
死者が逆さ吊りになって苦しんでいるのを、供養して、救おうという意味です。

釈迦の弟子に目連(目連尊者、モッガーラーナ)という者がいました。
裕福なバラモンの家庭に生まれますが、
ある時祭で踊り狂う人々を見ていて世の無常を感じ、出家します。

舎利弗(しゃりほつ) とともにもっとも初期に釈迦に弟子入りした人物で、
舎利弗(しゃりほつ) と並び釈迦二大弟子と言われます。

この目連、神通力をあやつる超能力者でした。

ある時、亡くなったお母さんのことが恋しくなります。

「ああ、おっかさんどうしてるかなあ。
あの世で元気にやってるかな。そうだ…ちょっと探してみるか。
ぐぬぬぬ…やっ!!」

気合を入れて、わが身を飛ばし、六道すみずみまで、
母の姿をさがしまわります。

「ん!あれは…」

荒れ果てた、殺伐たる荒野を、
すっかり変わり果てたボロボロの姿の母が、
うつろな目をして歩いていました。

「おっかさん!」

なんと目連の母は餓鬼道に落ちて、苦しんでいるのでした。

「腹が減った…腹が減ったよう…」

母はかすかな声でうめいています。

「おっ母さん、ああぁ…こんな姿になっちまって…。
待っててくれ!今、食いもんを持ってくるからな」

バタバタバタッ、

目連は台所に駆けて行って、お椀に飯を盛って、
それを母に差し出しますが、

ボウッ!!

一瞬で飯は炎に包まれてしまいます。

「腹が減った…腹が減ったよう…」

「ど、どどど、どうしたらいいんだ!!…
おっ母さんよォ…そうだ!わが師に相談しよう」

目連はぴゅっと釈迦のもとに飛んでいきます。

「あわれなことです。お前の母は前世の悪業によって
餓鬼道に落ちたのです。
これを救うには多くの僧の力を借りねばなりません。
夏の修行が終わった7月15日に僧たちを集めて、
食事や果物を出して、どんどん食べさせなさい。
そうすれば、その一部がお前の母に届くでしょう」

すぐに目連はたくさんの僧を集め、食事や果物を
ほどこします。僧たちは大喜びで食べたり飲んだり、
するとその一部が餓鬼道に落ちた母の喉にも届き、

「ああ、生き返ったようだわ!!」

パアーーと母は歓喜に包まれ、昇天しました。

現在のお盆(盂蘭盆会)は目連のこの逸話がもとになっています。

お盆のやり方は宗派や地域によって色々あるものの、
13日(盆の入り)に迎え火を炊いてご先祖さまの霊を迎え、
盆棚(精霊棚)をもうけて供養をし、
16日に送り火を炊いてご先祖さまの霊に
お帰りいただくという流れとなります。

大文字焼きで知られる京都の「五山送り火」、
さだまさしの歌でも知られる長崎の「精霊流し」などは特に有名ですね。

解説:左大臣光永
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