稲羽の素兎

スサノオノミコトから数えて六代目の子孫にあたるオオアナムヂノミコトには、八十神(やそがみ)と言われるほど多くの兄弟がいました。

その中からオオアナムヂが後にオオクニヌシと呼ばれるようになり、出雲の支配を任されることになるわけですが…

それだけ大勢の中からオオクニヌシノミコトが出雲の国の支配を任せられたのには、いろいろいきさつがあったのです。

もともとオオクニヌシノミコトは兄弟の中では一番パッとしない感じでした。いじめられっ子でした。損な役ばかりさせられていました。

ある時、オオクニヌシノミコトの兄弟たちは因幡国にヤカミ姫という、たいへんきれいなお姫さまがいるという噂を耳にします。

そして兄弟たちはまだ見ぬヤカミ姫に心奪われます。どんな美人だろう、ツンとすました中にも気品が漂う優雅な感じかなどと勝手な妄想を膨らませるのでした。

そしてとうとう、兄弟みんなでヤカミ姫に会いに行くことになりました。誰が夫としてふさわしいか、決めてもらおうというのです。

オオクニヌシノミコトは、そんな素敵な女性が自分のような冴えない男を選ぶわけないとわかってますから、正直「メンドくさいなぁ」という感じでした。

でも兄弟たちはオオクニヌシノミコトを容赦なく荷物持ちに命じます。八十人ぶんの重い荷物を持たされ、オオクニヌシノミコトはフラフラしながら歩いていきます。

そのはるか先を、兄弟たちは余裕でおしゃべりなどしつつ、遠足気分で歩いていくのでした。

さて、一行が因幡の国の気多(けた)の岬にさしかかりますと、異様な声が。

「ひぃぃぃぃ、いたぃいたぃいたぃよーおぅ」

見ると海岸で皮をむかれて血まみれになったウサギが、のた打ちまわっているのです。

「いたっ…ちょ、痛ッ、ひっ、死ぬ」

かなり大げさです。これだけ元気ならもう少しヒドイ目にあっても死ぬまい、ということで、兄弟たちはロクでもないことを教えます。

「おぉー、大変じゃったのう。この傷を治すにはな、まず海に入って全身を潮水に浸すんじゃ。それから濡れた体を風にさらす。高い崖の上なら強烈に風を受けてなお、よい」

「は、はい、今すぐそれ、します。やった。助かるんですね」

大喜びでバシャバシャと海に入っていくウサギを見て、兄弟たちはゲハゲハと人の悪いバカ笑いで盛り上がるのでした。

ウサギはさっそく兄弟たちに言われたとおり海水に浸かり、近くの崖に上がります。

そしてびゅうびゅう吹き付ける潮風に体をさらします。傷口がひどく染みるのですが、いやこれが助かるたった一つの方法なのだ、良薬口に苦しだ、などと自分に言い聞かせ、頑張るのでした。

ところが全くラクになりません!潮風で乾いた肌がカピカピになり、そこに強烈な太陽の光が照りつけると、全身をジリジリ焼かれるようです。

「ひ、ひいいいぃ」

しまいには全身にヒビが入り、血がにじんでまだら模様になります。ウサギは変わり果てた自分の姿に驚き、恐怖し、

「たすけて、死ぬ、死んじゃう」

と、駆け回るのでした。

そこに、兄弟たちよりだいぶ遅れてオオクニヌシノミコトが通りかかります。海岸ですごい声を上げてのたうちまわっている生き物を見つけ、何事かとかけよります。

「だっ、はっ、痛い、死ぬ。モウだめ」

オオクニヌシのミコトはウサギを一旦落ち着かせ、話を聞きます。

「いやどうも、ヒドイ話ですよ。私は、この海の向うの隠岐の島に住んでたんですが、いつもこっち側を見て、渡ってみたいなーと思っとったんです。

それでサメの奴に話しかけまして。サメさん、あんたの仲間いっぱいいるようだけど、私の仲間とどっちが多いでしょうねえ、んー、そらワシのが多いに決まっとる、ほんとですかぁ?なんて言って、じゃここから向こう岸までズラーーて仲間を並べてみてくださいよって言うと、

サメはバカなもんですから、なんだおやすいことだなんて言って、並ぶんですよ。

で、私はその上をぴょんぴょこ渡ってきたんですが、

あんまり作戦がうまくいったもんで、つくづく自分の頭の良さにホレボレしちゃって、あと一匹飛び越えれば岸に着くって時に私つい口がすぺっちゃったんですよ

ヒャッハーッ、おいらは海を渡りたかっただけさー♪バーカバーカ。サメのバーカ♪

「サメの奴は怒ったってそらたいへんな怒りようでもう、ベリベリベリーとひんむかれちゃってこの姿ですよ」

オオクニヌシノミコトは呆れてウサギの話をきいていました。なかなか憎めないウサギではあります。

しかし、ウサギは自分の兄弟たちに騙されて全身ひび割れになったとのこと。これはほっておけません。

オオクニヌシノミコトはウサギに教えてやります。

傷はまず真水で洗うこと。川が海に流れ込んでいるあたりの、まだ海水にならない、塩を含まない水で体を洗うこと。それからガマ の穂を集めて、その上でゴロンと横になって体を乾かすこと。

ウサギは言われた通り真水で体を洗い、ガマの穂を集めてその上に横たわれます。するとホワホワといい気持ちになってきて、傷の痛みがスーッと消え、眠りに落ちていきました。

目がさめると、オオクニヌシノミコトはまだ見守ってくれてました。自分の体を見ると、ふさふさと白い毛が戻っているのです。

「いやーっーほーーなおったぁーー♪うわはっ★」

ウサギは大喜びで「すごい」「えらい」「サイコー」とオオクニヌシノミコトをたたえまくった後、意外なことを告げます。

「実は、私はヤカミ姫の使いのウサギなんです」
「えっ…?」

驚くオオクニヌシノミコトにウサギは語ります。貴方の兄弟たちはぜったいヤカミヒメと結婚できないでしょう。あんなヒドイ人たちはロクなことにならない。あなたこそ、ヤカミヒメと結婚するにふさわしいと。

「がんばってくださいね」

オオクニヌシノミコトは急な話でとても信じられませんでしたが、とにかく兄弟たちの後を追って、出発するのでした。

≫つづき【オオアナムヂの災難】

解説:左大臣光永
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