一言主神と役小角
その昔、雄略天皇は長谷(はつせ)の
朝倉宮(あさくらのみや)(現在の奈良県桜井市)で
天下を治めていらっしゃいました。
ある時雄略天皇は大勢の臣下をひきつれて
奈良と大坂の境、葛城山に登ります。
お供する臣下の人々は、
紅の紐のついた青摺りの衣を着ていました。
すると、葛城山の向うの裾をのぼってくる人がありました。
その姿は、天皇そっくりでした。
また引き連れている人々の格好や
規模も、こちらとそっくりでした。
「はて。大和に吾以外に王はいないはずだが…
そのほう、何者じゃあ」
すると返事が来ました。
「そのほう、何者じゃあ」
「なっ…マネをするなあーッ」
「なっ…マネをするなあーッ」
「マネをするなと言っている!」
「マネをするなと言っている!」
…話になりません。
怒った天皇は、お供の者達に命じて
矢をつがえて構えさせます。
すると向うの峰でもお供の者達が
同じ格好で矢をつがえて構えます。
どうも変だと思って、天皇は尋ねます。
「そのほう、名は何と申すのだ。
まず互いに名乗ってから、矢を放とうではないか」
すると答えが返ってきました。
「聞かれてまず吾が答えよう。
何事も一言でキッパリと言い放つ神。
葛城山の一言主神である」
一言主神。
一言で、キッパリとお告げをしました。
いさぎよいことですね。
「私、結婚できますか」「無理」
「金ほしいです」「働け」
こんな感じでしょうか。
あなたなら、何を尋ねますか?
「おおっ!一言主神さまであらせられましたか。
これは失礼いたしました!こらっ、お前たち、馬から降りろ。
頭を下げぬか。…なにか差し上げるものは無かったか。
無い?では衣を脱げ。太刀と弓矢もはずせ。ほらほら、
今すぐにだ!
…失礼いたしました。この者たちの衣と
太刀と弓矢を献上いたします」
「ほほほ、殊勝な心がけじゃ。感心感心。
そちの治世は、とてもよいものになるであろう」
一言主神は手を叩いて喜び、天皇が帰っていくとき
山の峰を行列でいっぱいにして
長谷(はつせ)の山の入り口まで見送りました。
これが一言主神が人前に姿をあらわした
はじめての記録です。
役小角(えんのおづぬ)と一言主神
しかし雄略天皇の時代には尊敬された一言主神も、
大和王権の力が強くなるにつれて、落ち目になっていったようです。
飛鳥時代。
文武天皇の御世に
葛城山に役小角(えんのおづぬ)という人物があらわれました。
役小角像
生まれながらに賢く、頭のよさで並び立つ者はありませんでした。
また仏法を心から信じ、修行につとめていました。
「願はくは五色の雲に乗ってはるかの空に飛び、
仙人の宮の客となり、霞を吸って生きていきたい」
そんなことを言って40歳を過ぎて結婚もせず、
岩屋に暮らしていました。
周囲には、有名な前鬼・後鬼をはじめ、
多くの鬼神をはべらせて、身の回りの世話をさせていました。
「小角さま、肩をおもみします」
「小角さま、洗濯しときましたよ」
などと、鬼たちは従順でした。
ある時、役小角が鬼たちに命じます。
「金峰山(きんぷせん)と葛城山との間に橋をかけよ」
ざわざわ…
いかな従順な鬼達も、今回はざわめきました。
葛城山~金峰山
「小角さま、あっしらは、そりゃあ、やれと言われればやりますが…
金峰山と葛城山との間に橋なんかかけて、どうなさるおつもりで?」
「どうって別に…何となくほら、
おもしろそうじゃん」
「……」
こうして鬼神たちは、昼夜関係ない突貫工事に駆り出されることになりました。ふうふう…えらいことになっちゃった。鬼たちは大変な重労働ですが、よく飼いならされたもので、文句を言えるものはありませんでした。
「おうおう、だいぶ出来てきたな」
金峰山と葛城山間にじょじょに出来ていく
橋を見て、役小角は満足げにアゴをなでます。
こき使われている鬼神の中に、あの一言主神もいました。雄略天皇の昔には天皇から尊敬を受けた一言主神も、いまや役小角にこき使われるまでに落ちぶれていました。
ところで一言主神はとても醜い姿をしていたということです。
その醜い姿を恥じて、昼の作業には参加せず、夜だけ働きました。
一方、他の鬼たちは昼夜突貫作業で、働いていました。こんな、ちっこい鬼たちが、ヘルメットをかぶって、安全帯をして、毎朝朝礼があって、
はい。本日の安全確認事項。葛城建設さん。葛城建設です。土砂崩れに注意して作業します。人数15名。うち1名遅刻。はい。それでは本日も安全第一でがんばりましょう。ラジオ体操~はじめっ。おいっちに、おいっちに…
おい、一言主の奴どうした。あいつまた来ないのか。いいご身分だな。お前何日家に戻ってない。もう一ヶ月だよ。俺なんか半年だ。だんだん、鬼たちの不満が高ぶってきます。
「ズルいです小角さま!みんな昼も夜も働いてるのに
一言主だけ休むなんて。だったら私たちも休ませてもらいますよ」
「ぐぬぬ」
鬼たちは、今にもストライキを起しそうな勢いでした。
(ちぇ。こいつら鬼のクセに
根性はサラリーマンだなあ。でも組合でも
造られたらメンドウだ)
そこで役小角は一言主神を控え室に呼び出します。
「あんたねえ、そりゃ昔はえらかったのかもしれないよ。
たくさん部下使ってさ。さぞかしえらかったのか、まあ私は知らんけど。
今はウチで働いてんでしょ。じゃあウチのやり方に従ってもらわないと。」
「………」
ねちねち、クドクド続く説教。まるでリストラされた元大企業の部長が仕方なくコンビニでバイトしているのを、若いコンビニ店長がアゴでこき使っている図です。
きりきり胃を痛める一言主神。
「若造が調子に乗りおって。もう我慢ならん」
ついに一言主神の怒りはバクハツします。人間の姿に乗り移って葛城山を降り、当時の都、藤原京へ降りていき、役人に訴えます。
「葛城山の役小角が、労働基準法違反です!」
「なんじゃと?」
「…もとい
天皇を滅ぼそうとしています!」
「なに!それはまことか」
時の文武天皇は、すぐに捕縛の役人を役小角のもとに遣わし、役小角を捕らえてしまいました。役小角は伊豆大島に島流しとなります。
それでも役小角はこりず、毎晩伊豆大島を抜け出しては
富士山に登り降りして、朝までには伊豆大島に帰ってきたと伝えられます。
一言主神は、役小角の呪法によって葛城山に捕らえられ、
現在までその縛めが解けないままだそうです。
江戸時代。
奈良の初瀬で一泊した松尾芭蕉は、翌朝、
はるかに葛城山を見渡します。
春はあけぼのの葛城山にじょじょに日の光が差し、
薄明の中に桜の花があらわれてくるのは、
うっとりするような美しさでした。
「なんとすばらしい葛城山の朝の景色だ。
その昔、一言主神さまは醜い姿をはじて
夜だけ働き昼は隠れていらしたというが…
この葛城山の景色を見ていると、醜いなんて
ウソだと思う。ぜひ一度、お顔を仰ぎたいものだ」
猶見たし花に明行神の顔
一方で松尾芭蕉は、『おくのほそ道』の旅で
栃木の修験光明寺を訪れた際、祀ってある
役小角の像を前に詠んでいます。
夏山に足駄を拝む門出かな
これからはるか陸奥の旅に出るにあたって、
役小角さま、一晩で富士山にのぼりおりしたという
その健脚にあやからせてくださいと!
敵・味方にあたる一言主神と、役小角
それぞれの句を詠んでいるわけです。
松尾芭蕉、ちゃっかりしていますね。