安倍晴明と花山天皇

こんにちは。左大臣光永です。
新しい一週間、気分も一新して歩まれていますでしょうか!!
今年の夏も暑くなりそうな予感が今からありますね。

さて先日発売した新商品
「聴いて・わかる。日本の歴史~平安京と藤原氏の繁栄」
http://sirdaizine.com/CD/HeianInfo1.html

ご好評いただいています。ありがとうごいます。
特典音声「和泉式部の生涯」は5月25日までの期間限定特典と
なりますので、ご注文はお早目に。

しばらくこの商品に関して、
平安京や平安時代の人物についてお話していきます。

↓↓↓音声が再生されます↓↓↓


安倍清明は近年、映画や漫画の影響で
ファンが増えている人物ですね。

京都一条堀川の晴明神社には特に女性の
ファンが多く訪れています。

京都 清明神社
京都 清明神社

しかしあの晴明神社、「隣の晴明グッズの店は
当方とは何の関係もありません。御利益はありません.」
みたいな表示があって…なんというか、
いろいろあるんですね(笑)

その昔、天文博士安倍清明という陰陽師がありました。
幼い頃から賀茂忠行(かものただゆき)に師事し
陰陽道の修行をして、昔の大家にも劣らない、
たいへんすぐれた陰陽師として名を馳せていました。

清明と百鬼夜行

この清明がまだ少年時代のことです。

ある夜、師の忠行が牛車に乗って下京方面に出かけ、
清明は牛車の後ろから共をしていきました。

ガラガラガラガラ…

「あーーあ眠い。お師匠さまもこんな夜中に人使い荒いよ。ん?」

むうん…むうん…

何か得体の知れない気配が道の向うから近づいてきました。
それも一つではありません。

二つ、三つ、四つ…いや、
もっともっと、かなりの数のものが、
道の向うから群れを成して近づいてきます。

「ああっ!」

その者たちの姿を見れば、
牛のような顔をしたもの、
首のないもの、首だけのもの、
なんだかよくわからない肉の塊のようなブヨブヨしたもの。
毛むくじゃらのもの…それらが何十匹と行列をなして、
むうん…むうん…うめき声とも
何ともつかない声を発しながら、近づいてきます。

「なな、なんだありゃあ!」

清明は車の後に駆け寄り、

「お師匠さま、お師匠さま、起きてください」
「う、うーん。なんだ清明。もう着いたのか?」

「それどころではないですよ!お師匠さま、
なんか来ます!あれ!」

「ううん?」

師の忠行は車の窓を開き、前方を見ます。

「…清明、お前、あれが見えるのか」

「見えるも何も、ハッキリ見えて、ああ近づいてくるじゃないですか」

「うむ。よく知らせてくれた。
危ないところであったぞ。きえっ!!」

忠行が指で印を結ぶと、車の姿は見えなくなり、異様な集団は
気付かないまま、車の横をむうん、むうんと通り過ぎていきました。

こんなことがあってから、師の忠行は清明を
ますますかわいがるようになりました。

式神で殺す

またある日のこと、清明は広沢の
寛朝僧正(かんちょうそうじょう)という方の
館に参って話をしていました。

その時、側にいた貴族や僧たちが清明に言いました。

「清明殿、あなたは式神を使うということですが…
式神というのは、人を殺すこともできるのですかな」

「これは…この道の大事に関わることを、
ぶしつけにもお尋ねになりますなあ。
まあ、簡単には殺せません。
しかし少し力を入れれば必ず殺せます。
虫などはほんのちょっとで殺せますが、
生き返らせる方法を知りませんので、無益な殺生になります」

その時、庭を五六匹の蛙が飛び跳ねていきました。

「晴明さま、あの蛙を一匹殺してみてくだされ」

「これは罪作りなことを…
しかし私を試されるというのであれば、
仕方ありません」

清明は草の葉を一つまみ摘み切って、
むにゃむにゃむにゃと何事か唱えると、

「きえっ!!」

その草の葉を、蛙のほうへ投げます。
草の葉が蛙の上にはさっと落ちかかると、

グギャッ

蛙は一声上げて、ぺちゃんこに潰れてしまいました。

「ひいっ!」
「ひいい!!」

見ていた僧たちは真っ青になって、恐れおののきました。

清明と花山天皇

また歴史の名場面にも安倍晴明は登場しています。

花山天皇は、民をいつくしみ、風流を愛する天皇でした。
生後10ヶ月で皇太子に立ち、ご即位したのは17歳の若さでした。

しかし、寵愛していた女御が亡くなると、
政治への関心を急速に失っていかれました。

「ああ…愛しい者を亡くして、生きていて何になる。
出家がしたいのう」

天皇が出家したがっている。

その情報はすぐに太政大臣藤原兼家の知る所となります。

「よいではないか!さっさと御出家していただこう」

花山天皇の皇太子は、兼家の娘を母に持つ
懐仁(やすひと もしくは かねひと)親王です。

つまり、花山天皇がさっさと位を下りてくれれば、
兼家は天皇の祖父という立場になれるのです。トクです。

そこで兼家は、息子の道兼に命じて、
花山天皇に出家をたきつけます。

「そうですとも。人の世の空しいことといったら。
もう出家です。出家しましょう。私も出家しますから。
出家しませんと。善は急げ。出家しないと、
どうにもなりませんよ!」

「そうか…しかし、それほど」

「いいえ、今、やるべきです。出家。出家」

「わ……わかった」

道兼の勢いに押され、花山天皇は出家を決意します。

夜中、ひそかに牛車に乗り、御所を抜け出し、
土御門大路を東へ。山科の元慶寺(がんけいじ)をめざしました。

その時、土御門大路に面した安倍晴明の館では、
晴明が式神に指示を与えていました。

「今宵、帝がご退位なさる。
わが式神よ、御所に行って、見てまいれ」

そこで晴明が紙にふーーっと息を吹きかけると、
紙がむくむくっと生きたように動き出し、

「心得ました晴明さま」

すーーっと扉を開けて外に出ると、

ガラガラガラガラ…

ちょうど花山天皇を乗せた牛車が通り過ぎた所でした。

「うわっちゃ。間に合わなかったか~」

花山天皇はこの後、山科の元慶寺で出家し、
道兼はちょっと待っててくださいと逃げ出し、
もともと出家するつもりなどなく、まんまと
天皇だけを出家させて、逃げ帰ったのでした。

そのころ藤原兼家が御所で皇位継承の証たる
神器をおさえ、皇太子懐仁(やすひと)親王のもとに運ばせていました。

こうして花山天皇は退位し、
懐仁(やすひと)親王が一条天皇として即位。

藤原兼家が一条天皇の摂政となり、
藤原氏による摂関政治全盛期の舞台設定が整えられました。

寛和2年(986年)「寛和の変」という出来事です。

その一場面に安倍晴明がひょっこり顔を出すのも、
面白い感じがします(『大鏡』による)。

というわけで、

「聴いて・わかる。日本の歴史~平安京と藤原氏の繁栄」
発売中です。
http://sirdaizine.com/CD/HeianInfo1.html

生涯学習の一環として、またお子さんやお孫さんに
歴史に興味を持たせる入口としてもどうぞ。
特典の「和泉式部の生涯」は5月25日までの
期間限定特典ですので、お申込みはお早目に。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

解説:左大臣光永
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