清少納言の夫、強盗を撃退する
今は昔、陸奥国の前の国司橘則光という人がありました。
武士ではありませんが、肝っ玉が太く、
それでいて知恵もあり、腕力もあり、しかも美男子で、
言うこと無しでした。誰からも一目置かれていました。
この橘則光がまだ若い頃、一条天皇の時代、
衛府(えふ)の蔵人(くろうど)を勤めていました。
衛府の蔵人とは天皇のおそば近くお仕えする武官です。
このころ、則光は毎晩、宮中の宿直所を抜け出して、
ある女のもとに通っていました。
夜がしだいにふけてきた頃、
腰にはただ一振りの太刀を下げ、童一人お供に連れて、
陽明門より御所の外に出ました。
「今宵も月が綺麗だなあ」
などと言いながら大宮大路を歩いていくと、
御所の大垣のほとりに、
何人かの人か集まっている気配がありました。
「まずいな…盗賊か。関わるとロクなことにならん」
則光は、その一団を無視して、通り過ぎようとします。
月は西の山の端にかかり、
則光から見て御所の大垣は西の方角にあるので
月と則光の中間に大垣がある形です。
なので逆光になっていて、真っ黒です。
大垣のほとりで集まっている者たちの姿も見えません。
「このままやりすごそう…」
則光がそそくさと通り過ぎようとした、その時
「こらっ止まれ。ここにはさる高貴な方がいらっしゃるのだ。
通すことはできん」
その声は、高貴な方とはおよそ縁が無さそうな、
育ちの悪さ丸出しのダミ声でした。
月夜の死闘
(やはり盗賊だ。逃げよう)
すたすたすた…
則光は駆け過ぎようとします。
「さては逃げようってんだな」
ざっざっざっざっ
一人が走ってきます。
則光は、ふわっとその場にしゃがみこんで、
追ってくる敵のほうを見ると、弓の影は見えず、
太刀ばかりがきらきらと光って見えました。
(どうやら…弓は持たないようだ。これなら何とかなる)
則光はしゃがんだまま、もそもそと逃げます。
「待てえい」
背後から追いかけてくる賊。
(うわあ頭をかち割られる!)
思った瞬間則光が体をひねったので、賊は勢い余って前につんのめり、
ズザーーと則光の前に投げ出されました。
(したり!)
則光は賊をそのままやり過ごすと、太刀を抜き、
バカーン
思いっきり賊の頭を打ちます。
「ぐ、ぐふうっ…」
賊は頭を中から打ち割られ、ばったとその場に倒れました。
(許せ…)
そう思う間もなく、
「●×●××」
もう一人の賊が追いかかってきます。
則光は太刀を鞘におさめる暇もなく、脇にはさんで逃げ出します。
「待てやこら」
わめきながら追いかけてくる賊。
今度の賊はさっきの者よりは足が速そうでした。
「さっきと同じようにはいかぬか…では!」
則光は咄嗟の判断でその場に立ち止まり、しゃがみこむと、
賊は則光の体にけつまずいて、ズザーーと倒れます。
すると、入れ違えに立ち上がった則光がぶんと太刀を振り上げて、
バカーーン
「ぐ、ぐぶぅ」
またも、頭を打ち割りました。
「これで終わりかな…」
ほっと息をつく橘則光。
しかし、賊はもう一人残っていました。
「逃がさねえぞーーッ」
ドダダダダタ
正面から走りかかってくる賊に、則光は、
「もうダメだ。神よ仏よ。助けたまえ」
太刀を矛のようにまっすぐかまえ、
全速力で走ってきた賊の真正面に、クルッと、向き直ります。
「あ、うあっ!!」
賊は、とっさに太刀を抜いて斬ろうとしましたが、
近すぎて間合いが計れず、着物も切れず
切っ先が空しく宙を切っただけでした。そして、
ズブーーーッ
思いっきり走ってきたその勢いのまま、則光の太刀のきっ先が
胸につきささり、背中まで貫通します。
「ぐ…はっ」
則光がスポンと太刀の柄を引き戻すと、賊は仰向けに倒れました。
そこを、引き抜いた太刀で斬りつけ、
賊が太刀を持っていたほうの腕を、肩から切り落としました。
たったったった…
その場を走り去る則光。やや距離を取ってから
(まだ敵はいるだろうか…)
耳をすましますが、音がしないので、一安心して、
待賢門から中に駆け込み、柱の脇に身をそえます。
「そういえば童はどうしたか…。
おおーい童。童」
「あっ、則光さま、ひどいですよ」
「おお無事だったか」
童は泣きながら、則光のほうに駆け寄ってきました。しかし、
則光の衣装が血まみれなのに、すぐに気付きます。
「あわわわ…則光さま、
お召し物が、血まみれじゃないですか。
これ、やばくないですか」
「やばい。お前一足先に行って、
着替えを持ってきてくれ」
童に着替えを取ってこさせ、
血がついた上着と袴は童に命じて隠させました。
「このことは絶対に口外してはだめだよ」
「…わかりました」
童に口止めして、太刀の柄についた血はきれいに洗い落とし、
上着も袴も着替えて、則光は何食わぬ顔で宿直所に戻り、
床につきました。
しかし、これは殺人事件です。
バレたらどうしようと一晩中心配で寝られませんでした。
翌朝の騒ぎ
夜が明けると、たいへんな騒ぎになっていました。
「大男三人。斬り殺したそうですよ。それも三人の死体は、
それほど離れていないんです。つまり、短い時間でズバッ、
ズバッ、ズバッと、手際よくやったんでしょうね。
どれほどの達人なのか。ぶるぶる」
「三人で斬り合ったんじゃないですか?仲間割れとかで」
「いやいやいや、それが同じ太刀で斬られているんです」
則光は、同僚たちが興奮して話しているのをきいて、
頭がクラクラしてきました。
そのうち「現場を見に行こう」ということになります。
則光は気がすすみませんでしたが、しぶしぶついていきました。
すると、30ばかりの髭面の男が、大勢の野次馬を前に、
身振り手振りをまじえて熱く語っていました。
自分の武勇談として!
「その時、俺は青眼にこう太刀を構えた。死ねと敵は飛び掛ってくる。ガチーン。かみあう太刀と太刀。そりゃあ火花が散るようだったぜ。敵が一人なら余裕だ。しかし敵は三人だ。簡単なことじゃ勝てねえ。そこで俺はとっさに!バッと、砂を蹴り上げる。うわあっ。一瞬たじろぐ敵。ここが運命の分かれ目だった。俺はそこで!こう…体の軸をずらし、一人目の胴をズバァと一斬り。そして、返す刀で!二人目の賊を、ズバア、さらに遅れて走ってきた三人目を…」
話をきいていて則光はあきれ返ります。しかし、
(まあ…この男が殺人の罪を引き受けてくれたわけだ。よかった)
心の中で、男に感謝しました。
ずっと晩年になって事件のほとぼりが冷めたころ、
則光は息子たちに実は自分が犯人なのだと語ったと、伝えられています。
後に、則光はかの清少納言と結婚します。しかし則光はこの話のように武勇にはすぐれていましたが歌を詠む才能などはなかったようです。そのせいか、二人の関係はあまりうまくいかず、則長という男子をもうけますが、ほどなく別れています。