顕宗天皇(二) 雄略天皇陵の破壊

「これで少しは気が晴れた。しかし…」

天皇は、まだまだお気持ちが鎮まりませんでした。
父の最大の敵は、オオハツセこと雄略天皇でした。

しかし雄略天皇はすでに崩御し、
陵の中に眠っています。
復讐したくてもできないのでした。

「憎きオオハツセ。父の敵よ。
お前の全身の皮をはぎ爪をはぎ
舌を引き抜き目をえぐり、
火であぶり、およそ考え付く
あらゆる苦痛を、与えてやりたかったのに!
お前のような悪人が安らかに死ぬなど、間違っている!
せめて、お前の霊に復讐してやる」

天皇は、雄略天皇の陵を取り壊そうとされました。
そこへ、兄オケノミコトがあらわれます。

「この陵を破壊するには、他の者を遣わしてはなりません。
私を遣わしてください。そうすれば天皇の御心のまにまに、
破壊しましょう」

天皇は、兄と歩んできた苦難の旅をしみじみと
思い出します。そうだ。この憎しみ恨みをほんとうに
理解してくれるのは、自分自身のほかには、この兄しかいない。

そこで天皇はおっしゃいました。

「よし。破壊してきてくれ」

天皇の勅命を受けて兄オケノミコトは
雄略天皇の陵に行って、陵のそばの土を少し掘って、
ふたたび天皇のもとにもどって奏上しました。

「すっかり破壊してきました」

「なに、こんなに早く?
それは無理であろう。いったい、
どのように破壊したのか」

「陵の横の土を少し掘り取りました」

「なに、少し?それは、どういうわけじゃ。
父の恨みを晴らす。
それが長年の、我ら兄弟の誓いではなかったのか!
憎きオオハツセの墓であるぞ。跡形も残さず、
粉々に叩き壊すのが、当然ではないのですか、兄上!」

兄オケノミコトは静かに答えました。

「父の敵である憎きオオハツセの霊に復讐する。
それはもっともなことです。しかし、
オオハツセは父の敵ではあっても、
父の従兄弟であり、天下を治めた天皇です。
それを、父の敵というだけで陵を完全に破壊すれば、
必ず後世のそしりを受けましょう。

しかし父の敵であることは許せないことです。
そのぶんの復讐はしなければなりません。
だから私は、オオハツセの陵のほとりの土を
少し掘り削ってきました。この辱めだけで、
後世に示すには、充分です」

天皇は兄オケノミコトの深い考えを知り、
つくづく心打たれ、おっしゃいました。

「そうか。それは道理にかなったことである」

それで、雄略天皇の陵は
それ以上破壊されることはありませんでした。

この天皇の御年は38歳。8年間天下を治められました。
御陵は片岡の石坏岡(いわつきのおか)のほとりにあります。
奈良県香芝市北今市と見られています。

ついで顕宗天皇の兄オケノミコトが
仁賢(にんけん)天皇として即位。石上(いそのかみ。
奈良県天理市布留町)の広高宮(ひろたかのみや)にて
天下を治められました。

つづく武烈天皇、継体天皇、安閑天皇、
宣化天皇、欽明天皇、敏達天皇、用命天皇、
崇峻天皇、推古天皇については、『古事記』は
簡単に箇条書きするのみでその記述を終えています。

解説:左大臣光永
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