神功皇后(三) 気比神宮

気比神宮

さて、大臣建内宿禰命《たけうちのすくねのみこと》は、太子《おおみこ》を連れて、禊をして身を清めさせようと、近江を経て若狭へ向かっていきました。

勝利したとはいえ血なまぐさい兄弟同士の争いが行われたのです。しかも作戦とはいえ、太子が崩御したと言いふらしたのでした。ケガレを祓う必要がありました。

一行は近江を経て若狭へ向かい、越前の敦賀に仮の宮を建て、いったん落ち着きます。

ホムダワケノミコとタケウチノスクネの経路
ホムダワケノミコとタケウチノスクネの経路

その夜、太子の夢の中に、きこえてくる声がありました。

「吾は伊奢沙和気大神之命《いざさわけのおおかみのみこと》。
わが名をもって、太子の御名に替えようと思う」

そこで、

「あああ…ありがたや。ありがたや。神のお言葉の
ままに、名を替えましょう」

また神がおっしゃることには、

「明日の朝、浜にいらっしゃい。
名を替える証として、贈り物を奉りましょう」

夢の中にこんなやり取りがあった後、
夢から覚めました。

次の朝、浜に出て人々はビックリします。

「うわあーー、な、なんだこれは!」

イルカが、海岸一面に打ち寄せていました。よく見ると、
どのイルカにも特徴があります。鼻の部分に傷があるのです。

「すばらしい。神は吾に、食料をくださったのだ。
ありがたや。ありがたや」

そこで、神の御名を称えて、御食津大神《みけつのおおかみ》と名づけました。
今に気比大神《けひのおおかみ》として伝わっています。気比神宮《けひじんぐう》の起こりです。

イルカの鼻の血が臭かったので、その血を名づけて血浦、
後には都奴賀《つぬが》といいました。

酒楽《さかくら》の歌

太子が大和に戻ってこられると、母であるオキナガタラシヒメは待酒をつくって献上します。待酒とは、旅人の安全を祈って、無事に帰ってこれますようにと願いをこめて作る酒のことです。

酒を献上する時に、オキナガタラシヒメの歌って言うことに、

この御酒《みき》は 我が御酒《みき》ならず 酒《くし》の司《かみ》
常世《とこよ》に坐《いま》す 石立《いわたた》たす
少御神《すくなみかみ》の 神寿《かみほ》き
寿《ほ》き狂《くるお》し 豊寿《とよほ》き 寿《ほ》き廻《もとほ》し
奉《まつ》り来《こ》し御酒《みき》ぞ 止《あ》さず飲《お》せ ささ

(この御酒は、私の作った御酒ではありません。
酒の神であらせられる常世の国にいます岩のように磐石な、
スクナビコナの神が、祝福して踊り来るって、祝福して踊り廻って、
くださった御酒なのです。ぐっとお召し上がりください。さあさあ)

このように歌って、太子に大御酒を献上しました。大臣建内宿禰は、
太子のために答えて歌って申し上げるには、

この御酒《みき》を 醸《か》みけむ人は その鼓
臼に立てて 歌ひつつ
醸《か》みけれかも 舞ひつつ 醸《か》みけれかも
この御酒《みき》の あやに甚楽《うただの》し ささ

(この御酒を醸した人は、その鼓を
臼のように立てて、歌いつつ醸したからでしょうか。
舞いながら醸したからでしょうか。この御酒の、なんとまあ、
楽しいことでしょう。さあさあ)

なんとも陽気ですね。楽しくなります。
この二首は酒楽《さかくら》の歌といわれています。

≫つづき【応仁天皇(一) 後継者ウジノワキイラツコ】

解説:左大臣光永
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