幻住庵の松尾芭蕉

「おお、ここだここだ」

元禄3年(1690年)4月6日、47歳の松尾芭蕉は
近江の国分山(こくぶやま)の幻住庵に入ります。

現在の幻住庵
現在の幻住庵

現在の幻住庵
現在の幻住庵

先年、美濃大垣に『おくのほそ道』の旅を終えた後、
伊勢神宮の式年遷宮を拝んでから
故郷伊賀に戻り、さらに京都や琵琶湖南岸を
まわっていた芭蕉でしたが、さすがに長旅の疲れが出てきました。

(どこかでゆっくり落ち着きたい…)

そう思っていた矢先、膳所藩士菅沼曲水が、
よい話を持ってきてくれました。

「私の伯父が建てた国分山の庵が空いております。
今は管理する者もいませんので荒れ果てておりますが…
もしよかったら使ってください」

「おお…それはありがたい」

菅沼曲水は江戸に勤務していた頃、
芭蕉の門人となった人物で、心に嘘の無い正直な人物でした。

ふもとに走る細い流れを渡り、
うねうねと曲がりくねった道を山の中腹まで上っていくと、
傍らには八幡宮が立っています。

日ごろは通う人も稀と見え、
侘しい感じがかえって神々しく思われるのでした。

もの静かな山道の傍らに、もう長いこと人が
住んでいないと思われる庵がありました。

蓬や根笹が生い茂り、屋根は盛り上がって壁が崩れ落ち、
さぞかし狐や狸が寝床にしているようにも思えるのでした。

この庵が幻住庵です。

庵の主人たる曲水の伯父は、八年前に他界したということで、
まさに「幻」の名がふさわしい気がしました。

あたりには、まだ春の風情が残っています。

つつじが咲き残り、山藤が松にかかって、
キョッキョッキョッとほととぎすの声がよぎります。
啄木鳥に庵の柱をつつかれても、追い払ったりせず、
そっとしておきたい風情でした。

「ああ…いい風だ……」

じっと目を閉じると、山の麓にあるのは琵琶湖ですが、
まるで中国の洞庭湖のそばにいるような気分になってきます。

「呉楚東南にさけ、乾坤日夜浮かぶ…」

杜甫の詩の文句をつぶやいたりなどしながら
目を明けて周囲を見渡すと、
山は西南の方角にそばたち、人家はいい具合に隔たりあい、
南風が峰より吹きおろし、
琵琶湖から吹く北風が涼しげでした。

現在の幻住庵からの眺め(中央の山が三上山)
現在の幻住庵からの眺め(中央の山が三上山)

琵琶湖の向うに思いを馳せると、比叡山、比良の高根、
近江八景に数えられた唐崎の松には霞がかかり、
膳所の城、瀬田の唐橋、

湖水に釣り糸を垂れる船、笠取山に通う木こりの声、
ふもとの田園からは農夫の歌う田植え歌、
蛍飛び交う夕闇の空に水鶏の声…
いずれもいずれも、この上ない風情です。

その中にも三上山は、近江富士というだけあって
富士山のおもかげに通うものがあり、
深川の芭蕉庵から毎日富士山を見ていたことも、
思い出されるのでした。

瀬田川の東を見れば田上山がそびえます。
田上山には昔の歌人の墓も多いので、
これから散策するのが楽しみになってきます。

「もっと隅々まで見渡してみたいな」

芭蕉はうしろの峰に這い登り、
松の木の枝に座るところをしつらえて、
藁の丸座布団をしき、これを「猿の腰掛」と名づけました。
そして一日ぼんやりと山々を眺めているのでした。

「これでは風流人というより、単なる怠け者だなあ…」

気が向いた時には谷の清水を汲んで、
米を研いで自炊します。

西行法師が吉野山の庵で暮らしていた時に、
庵のそばから湧き出る清水について歌を詠みました。

とくとくと落つる岩間の苔清水
汲みほすほども無き住居かな

この清水を西行の歌にちなんで「とくとくの清水」といい、
芭蕉も6年前、吉野へ行った時に訪ねました。

そして芭蕉はここ幻住庵の清水をも、
吉野の「とくとくの清水」をなぞらえて、
「とくとくの清水」と呼ぶことにしました。

とくとくの清水
とくとくの清水

とくとくの清水
とくとくの清水

とくとくの清水 案内板
とくとくの清水 案内板

ここ幻住庵に昔住んでいた人は心の高い人だったと見え、
わざとらしい趣向などは一切なく、建物も、家具も、
簡素なものでした。一間隔てて仏間と、
布団を入れる部屋があるのみです。

この頃、京都にさる高名な僧が来ていたので、
芭蕉はその僧に庵の題字を書いた額を
書いてほしいと依頼しました。

こころよく引き受けてくれ、
すぐに「幻住庵」の三字を記した額が送られてきます。

「ああ…いい字だ。これで格好がつく」

ガタッと、庵の入り口に額を飾ります。
持ち物というほどのものは何もなく、木曾で手に入れた檜笠と、
『おくのほそ道』の旅で手に入れた菅蓑があるばかりで、
これらを枕の上の柱にかけます。

まれには人が訪ねてくると、芭蕉は興味深く話に聞き入ります。
八幡宮の宮守の老人や、里の男たちが

「猪が稲を食い散らして困ってます」
「うちの豆畑なんか、兎の通り道になっちゃって」

などど、いろいろな話をするのに、
芭蕉は興味深く聞き入るのでした。

日が山の端にかかり、夜になると、
芭蕉はじっと床に座り、月が出てくると灯火を取って、
壁にうつる自分の影を前に、さまざまなことに思いめぐらせます。

(ひたすら静けさを好み、
山に身を隠そうとしているわけではないのだ。

いってみれば…病にかかった人がちょっと
世間との交わりを避けているようなものだ。

それにしても…
長年過ごしてきたわが身の拙さ、罪深さよ。

人並みに任官して出世することをうらやんだこともあった。
また仏門に入ろうと思ったこともあった。
しかし、いずれもうまくいかず…

気がつけば旅から旅にわたり歩いて、
こんな俳諧などという風狂に一生かかわってしまっている。

白楽天は詩を作るのに悩むあまりに体を弱くし、
杜甫はやせ衰えたと言うが…

いや、もちろん私の才能など白楽天、杜甫の足元にも及ばない。

しかし、夢幻のようなものという点では、同じではないか…)

そんなことを思いめぐらせながら、芭蕉は床につくのでした。

旅から旅に渡り歩いた、その果てにたどりついた、幻住庵。
庭を見ると、大きな椎の木がそびえていました。

「なにはともあれ…この頼もしい椎の木の下で、
一息つくとしよう」

先づ頼む 椎の木も有り 夏木立

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