山幸彦 海幸彦

天孫たるニニギノミコトから生まれたホオリノミコトとホデリノミコトの兄弟は、立派な若者に成長し、それぞれ山幸彦、海幸彦と呼ばれていました。

兄の海幸彦はその名のとおり海で魚を獲るのが得意、弟の山幸彦は山で獣を狩るのが得意でした。兄弟はそれぞれ海と山で獲物をとって、暮らしを立てていました。


ある時、弟の山幸彦が兄の海幸彦に言います。

「兄さん、どうも私は、イノシシとか追っかけるのは飽きてきました。たまには海に出て、さわやかな汐風に吹かれて、漁をしたいんです。一日だけでいいです。お互いの道具を交換するのは、どうでしょうか」

「弟よ。バカを言うな。人には専門というものがある。山には山の、海には海のやり方がある。一日交換?そんな甘い話じゃない。ケガでもしたらどうする」

「そんな固いこといわずに、気分転換ですよ。たまには変化も必要ですよ」

弟の山幸彦があまりしつこいので、三度目に兄の海幸彦はしぶしぶ承知しました。こうして二人は狩りの道具を交換し、山幸彦は海に、海幸彦は山に行くという、へんなことになりました。

さて、大喜びで海に出た弟の山幸彦でしたが、釣なんかしたことないですから、魚はまったく釣れません。その上兄に借りた大切な釣針を、海に落としてしまいました。

山幸彦はショボーンと兄のもとに戻ってきます。

「どうだった?」

「まるでダメでした…」

「そうか。俺もだ。やはりなれた場所、
なれた道具でないとダメだなあ」

「はい。兄上…それで、たいへん申し上げにくいんですが…」

「ん?」

「お借りした釣り針を…まあ、
落っこしちゃったんです。てへ」

「な!!…てへ、なんて言ってごまかしてもダメだそ!
お前がロクでもないこと考えるからだぞ!
責任は取れるんだろうな!」

「いやその責任って…」

「ちゃんと返せ!もとの釣針を!」

そこで山幸彦は腰に帯びた十拳(とつか)の剣をくだいて、釣針を500個作り、兄に差し出しましたが、

「ダメだ。もとの釣針でないとダメなんだ」

そこで山幸彦はさらに釣針を500個作り、あわせて1000個の釣針を兄に返そうとしましたが、

「ちがうがう。
どうしてももとの釣針じゃないとダメだ。死んでもさがしてこい!!」

海幸彦はガンコでした。

「さがせっていってもなあ…。
この広い海から、どうやってさがせばいいんだよ…」

山幸彦は途方にくれて海岸でひざをかかえてしゃがみこんでいました。

すると、ザバーと浪の底から、何か上がってきます。見ると白髪の老人です。

「私はシオツチカミ。神の御子よ、何を悩んでおる」

山幸彦は、シオツチカミと名乗る老人にわけを話します。

「兄と道具を交換したのですが、
兄の大切な釣針を海に落としてしまったのです。
それで十拳の剣をくだいて1000本の釣針で償おうとしたのですが、
兄はぜったいもとの釣針じゃなきゃダメだなんてわがままを言って、
聞き入れないんです。だってこの大海原から探し出せって!
ムチャクチャですよ。ひどい兄だと思いませんか?」

「ふーむ、それは困ったのう。よし私の言うとおりにしなさい。私が用意する舟に乗って海に漕ぎ出すのじゃ。あとは、潮の流れに身を任せる。すーと流れていって、ワダツミの宮殿に着くはずじゃ。その庭に神聖な桂の木があるから、登るとよい」

と言いつつ、老人はまたザバーと海の底に消えていきました。見ると、
竹の舟が浮いてます。隙間なく編んだ竹の舟で、水漏れがしないように内側にニスのようなものを塗ってあります。

山幸彦はなかばヤケクソで竹の舟に乗り込み、老人に言われた通り、潮の流れに身を任せます。

3日3晩流されていくと、遠くに魚の鱗が立ち並んだようなキラキラ光る宮殿が見えてきました。島全体が宮殿になっているのです。

さては老人の言ったことは本当だったと、山幸彦は島に舟をつけます。宮殿の前に見るからに神聖なかんじの木があります。山幸彦はその木に登り、何が起こるかとワクワクして待っていました。

すると宮殿にすむトヨタマビメの下女が、水をくもうと外に出てきました。下女が井戸から水を汲もうとすると、井戸の水面にキラリと光るものが映ります。

「あら?何かしら」

下女が上を見ると、桂の木の上に、なんとも立派な若者の姿がありました。

「おいしそうな水だな。一杯くれよ」

(まあ図々しい。でもカッコいいから水をあげちゃいましょう)

下女は水の入った桶を差し出します。すると若者は、
桶は受け取らず、じゃらっと首に巻いた玉飾りを解いて口に含み、
プーーッと噴出しました。

「きゃ」

ポチャン

玉飾りは桶の中に飛び込み、桶の底にひっついてしまいました。
下女は桶の中に手を入れて玉飾りを取り出そうとしますが、
どうしても取り出すことができませんでした。

下女は仕方なく、玉がくっついたまま桶をトヨタマビメに差し出します。
トヨタマビメは桶の中の玉を見て、不思議に思いました。

「なにこれ?もしかして外に誰かいるの?」

「はい姫さま…実は門のところの桂の木に、
それは立派な若者が登っています。我らの王にも増して、
立派な方ですわ。その方が、水をくれとおっしゃるので、
差し出したところ、水は飲まずに首にまいた玉飾りを
解いて口に含み、ぷっと吐き出されました。

その玉飾りがポチャンと桶に入って、桶の底にくっついちゃったんです。
いくらひっぱっても取れません。それで、そのまま持ってきました」

「ふうん不思議な話ねえ。そんなことがあるかしら」

トヨタマビメは外に出て桂の木に登っている若者の姿を見ます。

「まあ!ほんとに立派な方!
あんな方が私の夫になったら、どんなに素晴らしいかしら…
ちょっと、そこの貴方!」

「ん?」

二人の目と目があって、二人はその場で気持が通じ合い、
愛し合いました。

愛し合った後、トヨタマビメは、父に報告します。

「門のところに立派な殿方がいらっしゃったんです。
私は、この人を夫と決めました」

「え!お前そんな、急に言うね。
ワシの父親としての立場はどうなるんだい」

そう言いつつも父は若者の姿をとにかく見てみようと
外に出ると、なるほど立派な若者です。父は思わず叫びます。

「このお方は、天津日高(あまつひたか)の御子、
空津日高(そらつひたか)だ!」

神の御子である「大空の神」という意味です。
ここは海の底なので、それに対して「大空の神」と
呼んだのですが、もちろんこれは本当の名前でなく
父がその場で勝手に呼んだものです。

「ささ、どうぞ中へ」

父は山幸彦たるホオリノミコトを宮殿の中に招きいれ、
アシカの皮を幾重にも重ねた上に、絹を幾重にも重ねた
敷物の上にホオリノミコトを座らせ、
ズラリとご馳走をならべてふるまい、
その場でトヨタマビメとの結婚式を行いました。

こうしてホオリノミコトはトヨタマビメと夫婦になり、
ワダツミの宮殿に三年間を過ごします。

幸せのうちに三年は過ぎていきましたが、
ホオリノミコトはある日、ふと思い出したのでした。
ここに来た、そもそもの目的というものを…。

≫つづき【潮盈珠・潮乾珠】

解説:左大臣光永
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