雄略天皇(四) 葛城の一言主神

また雄略天皇について伝えられる
不思議な話があります。

ある時雄略天皇は大勢の臣下をひきつれて
奈良と大坂の境、葛城山に登ります。

お供する臣下の人々は、
紅の紐のついた青摺りの衣を着ていました。

すると、葛城山の向うの裾をのぼってくる人がありました。

その姿は、天皇そっくりでした。
また引き連れている人々の格好や
規模も、こちらとそっくりでした。

「はて。大和に吾以外に王はいないはずだが…
そのほう、何者じゃあ」

すると返事が来ました。

「そのほう、何者じゃあ」

「なっ…マネをするなあーッ」

「なっ…マネをするなあーッ」

「マネをするなと言っている!」

「マネをするなと言っている!」

…話になりません。

怒った天皇は、お供の者達に命じて
矢をつがえて構えさせます。

すると向うの峰でもお供の者達が
同じ格好で矢をつがえて構えます。

どうも変だと思って、天皇は尋ねます。

「そのほう、名は何と申すのだ。
まず互いに名乗ってから、矢を放とうではないか」

すると答えが返ってきました。

「聞かれてまず吾が答えよう。
何事も一言でキッパリと言い放つ神。
葛城山の一言主神である」

一言主神。

一言で、キッパリとお告げをしました。
いさぎよいことですね。

「私、結婚できますか」「無理」
「金ほしいです」「働け」

こんな感じでしょうか。

「おおっ!一言主神さまであらせられましたか。
これは失礼いたしました!こらっ、お前たち、馬から降りろ。
頭を下げぬか。…なにか差し上げるものは無かったか。
無い?では衣を脱げ。太刀と弓矢もはずせ。ほらほら、
今すぐにだ!

…失礼いたしました。この者たちの衣と
太刀と弓矢を献上いたします」

「ほほほ、殊勝な心がけじゃ。感心感心。
そちの治世は、とてもよいものになるであろう」

一言主神は手を叩いて喜び、天皇が帰っていくとき
山の峰を行列でいっぱいにして
長谷(はつせ)の山の入り口まで見送りました。

これが一言主神が人前に姿をあらわした
はじめての記録です。

≫つづき【雄略天皇(五) 三重の釆女】

解説:左大臣光永
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