浮御堂の松尾芭蕉

「先生、船を出しましょう」
「今夜は、十六夜の月が、見事ですよ」

「んん…なんだまた月見か。みんな飽きないなあ」

海門山 満月寺
海門山 満月寺

浮御堂
浮御堂

元禄4年(1691年)、48歳の松尾芭蕉は近江の門人たちに
俳諧を教えながら、大津膳所の義仲寺境内に
庵を結び、暮らしていました。

この庵を「無名庵(むみょうあん)」といいます。

義仲寺
義仲寺

義仲寺
義仲寺

無名庵
無名庵

むっくりと芭蕉は起き上がり、空を見ます。
もう夕方近いようでした。

昨夜は門人たちがここ義仲寺無名庵に集まり、
仲秋の名月を見て句を読んでは酒を飲み、
ワイワイと盛り上がったのでした。

庵の中には昨日の酒がまだ転がっています。

「さあ先生、もう舟が来ちゃいますよ」
「十五夜は十五夜、十六夜は十六夜です」
「とっとっと…みんな元気だなあ」

向井去来、野沢凡兆はじめ、門人たちが
今起きたばかりの芭蕉をせっついて、舟つき場まで導きます。

琵琶湖にはすでに、舟がついていました。
ギシッと乗り込む芭蕉と門人たち。

「ゆっくり漕いでいきますからね。
堅田に着く頃には月もいい具合に上がってるでしょう」


膳所~堅田

船頭さんはそう言って、ギイ、ギイ…舟を漕ぎ出します。
しだいに日が暮れてきて、夕陽が沈んでいきます。

「いよいよ夜ですね」
「うん、やっぱり楽しいなあ。月見は」

小一時間ほど岸沿いに琵琶湖を進むと、
むこうに海に張り出した小さなお堂が見えてきました。
お堂は陸地と細い橋でつながっています。

「見えてきた見えてきた。あれが浮御堂です」
「おお…」

浮御堂
浮御堂

一行は浮御堂のほとりに舟を止め、寺の境内に上がり、
浮御堂に渡ります。琵琶湖の向うには近江富士といわれる
三上山がこんもりと影になって見え、空には十六夜の月が
のぼってきました。

ワイワイと、すぐに句会がはじまります。

浮御堂
浮御堂

浮御堂
浮御堂

向井去来、野沢凡兆はじめ、門人たちと句を作りながらも、
芭蕉は二年前の奥羽・北陸の旅を思い出していました。
門人の曾良とともに旅した150日あまりの旅。
芭蕉の生涯のうちでも、もっとも大規模な旅でした。

松島の月、月山の月、敦賀の月…

あの旅でみたさまざまな月が、
今夜の堅田の月と重なります。

(松島の島々も、平泉の夏草も、最上川の涼風も…
あれはわずか二年前のことなのに。
遠い昔に離れてしまった気もする。

曾良は最近忙しいのか、あまり遊んでくれないし…。
清風は、北枝は、等栽は…みんなどうしてるだろう…。

そして私はあの旅のことを、いまだに文章に
まとめることができずにいる。何としても、
生きているうちに、形にしなければ…)

芭蕉が欄干にもたれかかって、
さまざまな思いにふけっていると、
寺の住職が浮御堂にわたってきて、ギイとお堂の錠を開きます。

「こんな夜中に、お堂を開けるんですか?」

「ええ。なにしろこの名月ですから。
仏さんたちも、見たがってるんじゃないですか」

「あ、なるほど」

錠を開くと、お堂の中にぱあーっと月の光が差し込んだ
感じがして、一千体の阿弥陀像の顔も、なんだか
嬉しそうに見えました。

錠あけて 月さし入れよ 浮御堂

錠あけて 月さし入れよ 浮御堂
錠あけて 月さし入れよ 浮御堂

これより3年後の元禄7年10月、
芭蕉は旅先の大坂御堂筋で病が悪化し、
帰らぬ人となります。

『おくのほそ道』は五年の月日をかけて完成し、
芭蕉没後の元禄15年(1702年)
京都の井筒屋から刊行されました。



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