崇神天皇(一)大物主神を祀る

こんばんは。左大臣光永です。鏡開きですね。
正月のぼんやり感もいよいよ終り、いつもの生活に
もどっていく感じですが、いかがお過ごしでしょうか?

私はしばらく実家の熊本に留まり作業をしています。
本日おとどけするお話は『古事記』から
有名な三輪山の大物主神(オオモノヌシノカミ)にまつわる伝説です。

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私はこの正月、奈良を中心にあちこちに初詣に行ったのですが、
三輪山を祀る大神(おおみわ)神社にはまだ暗いうちから
参詣しました。

かなり傾斜のある山道をうねうねとすすみ、
山のあちこちに散らばる
社殿を参拝してまわりました。

額田王が飛鳥を離れる際に三輪山をふりあおいで詠んだ、

三輪山をしかも隠すか雲だにも
心あらなも隠そうべしや

という有名な歌がありますが、大神神社の拝殿から
東の方角に三輪山はこんもりと見えるはずなんですが、
あまり早朝に行ったため見えなかったのは残念でした。

しかし早朝で真っ暗なため、
夢の中で歩いているような幻想的な感じがあり、かえって楽しかったです。

大神神社の参道で食べた雑煮が、
2014年最初の食事となりました。

大物主神は
蛇の神・水の神・雷の神・酒の神と、さまざまな性質を持つ神さまで、
『古事記』のあちこちに登場します。

特に有名なエピソードは、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)の
もとに夜這いした話です。

神の夜這い

遠い昔、イクタマヨリビメというたいへんな美人がありました。
子供のころから可愛かったのですが、年頃になると
ますます美しさに磨きがかかり、ほうぼうから嫁に来てくれと
声がかかっていました。

両親も、どんな立派な青年に嫁がせようと、娘の将来が楽しみでした。

一方、ここに男がありました。その姿かたち、立ち居振る舞い、
まことに立派で、比べるものもありませんでした。

この男が、ある晩イクタマヨリビメの寝床に尋ねてきます。

「きゃっ!」

「しっ、驚かせてしまってすまぬ。
でも、私のような美男子が相手なら、問題はなかろう」

月光の中にうつしだされた相手の顔を見ると、
まことにこの世のものとは思えない、つややかで、
美しいものだったので、イクタマヨリビメは「はい」と返事をして、
二人は結ばれました。

こうして男は、毎夜、イクタマヨリビメのもとに
通っているうちに、まだいくらも時が経っていないのに、
イクタマヨリビメはみごもりました。

父と母がイクタマヨリビメに尋ねます。

「一人で身ごもるなんて、へんな話だよ。
夫もいないのに、お前はどうして身ごもったんだい」

「実は…とても美しい若者があって、名前も知らないんですが、
その若者が毎夜私の寝床に通ってきて、一緒に暮らしているうちに、
身ごもったのです」

「な…!娘よ、そんなことがあったなら、なぜ親に相談せんのか。
いったい相手は、相手は!」

「あなた、落ち着いてください。そんな興奮したって、
起きてしまったことは仕方ないことですよ。
それでヒメ、相手はどんな殿方なの」

「それが…何一つ知らないんです。名前すら」

「そんなお前…。とにかく相手が誰なのか、
確かめてみないといけませんよ」

その正体

そこで両親は一計を案じました。

「赤土を床の前に撒き散らしておいて、
幾重にもつむいだ麻糸の先を針にさして、
その針を男の衣の裾に刺しなさい」

そうすれば、男が帰っていった後、するすると糸が
のびていくのを追って、男の行き先がわかるわけです。
床の前に撒き散らした赤土が男の足の裏についていることで、
その男だと、特定できるという作戦です。

「わかりました。やってみます」

娘は両親に言われた通り、床の前に赤土を撒き散らし、
幾重にもつむいだ麻糸の先を針にさして、
その針を男の衣の裾に刺しました。

朝になって見ると、男はいつも通りいなくなっていました。
糸はすーーと伸びていて、
鍵穴から外に出ていました。糸巻きにはほんの三巻ぶんしか
糸が残っていませんでした

つまり、男は鍵穴を通って外に出て、
かなり遠くまで行ったことになります。
ますます不思議な話です。

娘は糸をたどっていくと、糸は三輪山について、神の社のところで
終っていました。

「まあ…あの方は神様だったのだわ!」

糸巻きに三巻の糸が残っていたことから、その地を名付けて
三輪というようになりました。

オオモノヌシノカミとイクタマヨリビメから生まれた子を、
オオタタネコ(意富多々泥古)と名付けました。

疫病の流行

10代崇神天皇の時代、疫病が流行し、多くの民が死にました。
天皇はお心を痛めました。

「心痛いことじゃ。なんとか疫病をやめ、
世の中を平和にするすべが無いものか。
神よ、道をしめしたまえ」

天皇はそうおっしゃって床に入られました。すると、
夢の中に、立派な青年の姿の神が現れ、お告げを下します。

「われは三輪山のオオモノヌシノオオカミ(大物主大神)。
疫病はわれの意思なり」

「なんということ!で、どうすれば疫病はやむのですか?」

「わが子オオタタネコ(意富多々泥古)をもってわれを祀れ。
そうすれば疫病もやみ、国も平和になるだろう」

……

目覚めて後、天皇は早馬の使者を四方に飛ばし、
オオタタネコなる人物を探させました。

すると河内の美努村(みののむら。大阪府八尾市上之島周辺)に
オオタタネコなる人物がいたので呼び寄せ、天皇は問いただします。

「お前は、誰の子であるか」

「私めは、大物主神がイクタマヨリビメ(活玉依毘売)をめとって
生まれた子で、名をオオタタネコ(意富多々泥古)と申します」

「したり。お前であったか。これで天下は平和になり
民草は栄えよう」

こうして天皇はオオタタネコを神主として、
神の山たる三輪山を祀らせました。

また神聖な多くの土器を作らせ、
天神地祇(てんじんちぎ。天つ神・国つ神)を神社をつくり
祀らせました。

これによって疫病はしずまり、国は平和に
民は豊かになりました。

≫つづき【崇神天皇(二)タケハニヤスの反乱】

解説:左大臣光永
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