垂仁天皇(二)物言わぬ御子

この御子が子供の頃、
尾張の相津(愛知県西部 未詳)にある二股杉を、
そのままくり抜いて二股の舟を作り、
大和の市師池(いちしのいけ 奈良県橿原市東池尻町。
盤余(いわれ)の池とも)や、軽池(かるのいけ 
橿原市大軽町周辺にあった池)に浮かべて、御子を
舟に乗せて遊ばせました。

しかしこの御子はヒゲが胸まで届くほどの30代のいい大人になっても
口がきけませんでした。

それが、舟遊びをしている時に空を一羽の白鳥が
飛んでいくのを見て、

「う…うあ…」

はじめて言葉らしきものを発しました。

白鳥をさがす

「なに!御子が言葉を!白鳥?それだ!
さがせ。とらえよ白鳥を」

すぐに天皇は山辺(やまのへ)の大タカという人物に命じて
その白鳥を捕えさせることにしました。

「白鳥やーい、白鳥やーい」

山辺は大タカは紀国(きのくに)より播磨国(はりまのくに)に至り、
また因幡国に越えていき、すぐに丹波国(たにはのくに)・但馬国(たじまのくに)に至り
今度は東に追いかけていって、近江国に至ってすぐに美濃国に越え、
尾張国から信濃国、ついに越の国に追い至って、和那美(わなみ)の水門(みなと)で
罠の網をしかけて、ようやく白鳥をつかまえると、持ち帰って献上しました。

このため、この水門を名付けて「罠網(わなあみ)」から「和那美(わなみ)」と
いうようになりました。

「どうじゃ、御子よ、白鳥じゃぞ。
お前が大好きな白鳥じゃぞ。さあ、しゃべってみよ」

天皇は、これで御子が口をきくとたいそう期待されましたが、
御子は一言もしゃべりませんでした。

天皇は、そして西から東さんざんに
かけめぐった大タカも、たいそうガッカリしました。

夢のお告げ

「ああ…わが御子、わが御子。ふびんな。
どうしたら口をきいてくれるのか」

天皇は胸を痛めながら床につくと、夢の中にあらわれた神が
おっしゃいました。

「私の宮を天皇の宮殿と同じように整えれば、
御子は口をきくだろう」

目がさめた時、かんじんの神の名前がわからないことに気づきました。
そこで占いをしたところ、出雲の大国主神だということでした。

「おお…大国主神か。では御子を出雲大社の参詣に
行かせるとして、一人というわけにもゆかぬ。
誰を共に行かせたらいいのか」

これも占ったところ、曙立王(あけたつのみこ)が占いに当たりました。

天皇が曙立王に命じて誓約(うけい)をさせて、

「大国主大神を拝むことでほんとうに御子が
口をきけるようになるのだろうか。ほんとうであれば、
この鷺巣池(奈良県橿原市四部(しぶ)町鷺巣神社のあたりにあった池)
の木に住む鷺よ、誓約に従って地に落ちよ」

そう誓約すると、鷺はすとっと地に落ちて
死んでしまいました。

「あっ鷺が!いくら誓約とはいえ罪作りなことを」

神社の神官がとがめますが、曙立王は涼しい顔で
「なに、大丈夫です…誓約に従って生きよ」

そう言うと地面に落ちて死んでいた鷺がむくっと起き上がって
ビデオの逆回転のようにひゅっと木の上に戻りました。

また、甘樫丘にある葉の広い樫を誓約によって
枯らせたり茂らせたりしました。

出雲へ

報告を受けた天皇は、

「よし。夢の話はほんとうのようだ。
御子の供をして、出雲まで行ってきてくれ」

「ははっ」

その日のうちに、曙立王(あけたつのみこ)と菟上王(うなかみのみこ)の
二人とともに御子を出発させます。

その時に奈良山越えから行けば足の悪い人や目の悪い人に出会うだろう、
大阪越えから行けばまた、足の悪い人や目の悪い人に出会うだろう、
ただ大和から紀伊へ向かう道だけが幸先のよい道だと占って、
そのとおり紀伊を経由して出雲へと旅立ちました。

さて出雲に着いて、出雲大社を参拝します。

泣く泣く高天原に国を譲らざるを得なかった大国主神と
息子たち、そしてその一族。

そのかわり出雲に立派な宮殿を建ててくれ。
天つ神の御子の宮殿のような大きな柱と、千本もの柱のある
立派な宮殿を建ててくれれば、私はそこでひっそりとすまいましょうと
大国主神がそうおっしゃったことで、国譲りが行われました。

出雲大社の、
なるほど立派な宮のたたずまいに、
大国主神の無念と、気概が感じられるようで、
一同、しみじみと思いを馳せるのでした。

出雲大社の参拝を終えて大和へ帰る途中、
肥河(ひのかわ)の中に木をすのこ状に渡してその上に
仮の宮を築いて御子はお泊りになりました。

その時、臣下の一人が青葉の茂る山の形を飾り物に作り
河下に立て、御子にお食事をさし上げようとしていた時に、
その御子が口を開いておっしゃることに、

「あの河下で、青葉の茂る山のように見えるのは、
山と見えて、まことの山ではない。ひょっとして
出雲の宮にいますアシハラシコオノオオカミ(葦原色許男大神)
をまつる神主たちの祭り場か」

アシハラシコオノオオカミはオオクニヌノシミコトの別名です。

「御子さま、お声が!」

お供に遣わされた王たちは大喜びして、とりあえず御子を
近くの宮にお迎えして、天皇に早馬の使いを出しました。

その後、御子のお供をした二人の王は
天皇の宮に戻ってきて奏上しました。

「出雲大神を参拝したことによって、
御子さまは物をおっしゃいました。なのでこうして、
戻ってまいりました」

「でかした!」

天皇は大いに喜ばれ、すぐに菟上王を出雲に戻し
出雲大社を建て替えさせました。

≫つづき【垂仁天皇(三)常世の国の木の実】

解説:左大臣光永
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