応神天皇(三)百済からの渡来人

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この天皇の御世に、海部《あまべ》・山部《やまべ》・山守部《やまもりべ》・伊勢部《いせべ》を平定されました。また、剣 池《つるぎのいけ》を作りました。また百済から人々が渡ってきました。

「よくぞわが国にいらっしゃいました」
「やあ、噂には聴いていたが、倭国は道の隅々まで、
美しいですなあ」

などと言いつつ、タケウチノスクネ(建内宿禰命)が渡来人を率いて、案内しました。そして「渡来人の堤の池」として、百済 池《くだらのいけ》を作りました。残念ながら、どこにあったか詳細は不明です。

また、百済国王照古王《しょうこおう》が、牡馬を一匹、牝馬を一匹、阿知吉刀《あちきち》に付けて献上してきました。また 、太刀と大きな鏡とを献上してきました。

天皇が百済に向けておっしゃることには、「もし賢い人があれば、遣わしてください」

そこで、天皇のお言葉を受けて百済から渡ってきた人の名を、和邇吉師《わにきし》といいます。論語十巻、千字文一巻、計十 一巻をこの人につけて献上してきました。

また、鍛冶屋の技師で、卓素《たくそ》という者、また呉の機織女である西素《さいそ》の二人の二人を献上してきました。

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また、秦造《はだのみやつこ》の祖先・漢直《あやのあたい》の祖先と、酒を醸す技術を持つ者で、仁番《にほ》、またの名を 須々許理《すすこり》らが、日本へ渡ってきました。

「おお、これが百済の酒か。どれどれ、
うーん…いかにもよい香りじゃ」

天皇は須々許理らが献上した酒をお飲みになると、心がワクワクしてこられて、陽気にお歌いになりました。

須々許理《すすこり》が 醸《か》みし御酒《みき》に
我酔《われよ》ひにけり 事無酒《ことなぐし》
笑酒《えぐし》に 我酔ひにけり

(須々許理がつくった酒を飲んで、我は酔うたぞ。
無事平安をもたらす酒。笑いをもたらす酒。
その酒に、我は酔うたぞ)

このように歌って、須々許理のもとから大和へ戻られる途中、杖で大坂の途中の岩をカーンと打たれたところ、その石は、スタ コラサッサと駆け出しました。

「う、うぬ。石が走っていくぞ。吾はそんなにも酔っ払ったのか」
「陛下、はやく宮へ戻ってお休みになってください」

こうして、「硬い石でもヨッパライは避ける」という諺が生まれました。

≫つづき【応神天皇(四)宇治川の戦い】

解説:左大臣光永

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