九尾の狐

「上皇さまは今宵も玉藻の前のもとか…」
「困ったものだ…」
「これでは国が傾く…」

平安時代も末期に近い鳥羽上皇の時代。

崇徳・近衛・後白河三代30年近くにわたり院政を行い
絶対権力者・治天の君として君臨してこられた鳥羽上皇ですが、
その治世の末期には政治への関心を失っていかれました。

いつからか宮中に玉藻の前という絶世の美女があらわれ、
鳥羽上皇の御心をうばってしまったのでした。

鳥羽上皇は夜ごと夜ごとに玉藻の前のもとに
お通いになり、

「玉藻や、玉藻や…」

夢中になって愛し合われるのでした。

陰陽師 安倍泰成

大臣公卿殿上人、こぞって頭を悩ませます。

「これはゆゆしき問題ですぞ。
唐土にも帝王が女に入れ込んだ末に
国が亡びたという例は多いではありませんか」

「そもそも玉藻の前とは何者か。
きけば出身も、経歴もわからぬというではないか」

大臣公卿こぞって話しあった結果、
陰陽師安倍泰成に玉藻の前のことを
調べさせようということになりました。

安倍泰成はかの安倍清明の流れをくむ、
当時最高の陰陽師です。

「なるほど、話はわかりました。
この安倍泰成。必ずや、玉藻の前の正体、
あばいてごらんに入れましょう」

「キェーーーーッ!!
ぬんぬんぬん、キョヘーーー!!」

安倍泰成は秘術の限りをつくして祈ります。

その時玉藻の前は、清涼殿の鳥羽上皇の御前で
優雅な舞を披露していましたが、

「ギャヒッ」

変な声を上げたと思うと、
ぴたりと舞が止まってしまいます。

「ぎゃ、ギ、ギ、ギ…」

「ぬ?どうしたのじゃ?」
「何かあったのですかな?」

鳥羽上皇以下、玉藻の前の舞を見物していた
大臣公卿殿上人は、いぶかしく思います。とその時、

ギャヒヒヒーーーーー

悲鳴を上げて、玉藻の前がその正体をあらわします。
その正体とは!

玉藻の前の正体

キラキラキラキラ…

金色に輝く毛に全身を覆われ、
尾が九つに分かれ、顔はおしろいをつけたように真っ白な、
金毛白面の妖怪・九尾の狐でした。

ギャヒヒヒーーーーー

九尾の狐は京都御所の上空へ長い九つの尾をまっすぐ引いて
駆け上がります。

ゴロゴロ、ゴロゴロ、
ザアーー

にわかに雷鳴が轟き、大雨がふりはじめました。

九尾の狐は雷鳴轟く京都御所の上空を
二度、三度と旋回した後、

ケーーーン

と一声、はるか東の空へ飛び去ります。

四枚のご幣

「逃がすかーーッ!!」

ヒュッ、ヒュッヒュッヒュッ

陰陽師安倍泰成は、白・黒・青・赤
四枚のご幣を空へ飛ばします。

四枚のご幣は東の空へ飛び去る九尾の狐を
追って、まっすぐに飛んでいきますが、

まず白のご幣が力尽きて落ち、次に黒のご幣が落ち、
赤のご幣も届かず、

その中に青のご幣だけは!
九尾の狐をどこまでも追っていき、
ついに見えなくなりました。

「したり!青!しゃあーーッ!!」

飛び上がって喜ぶ陰陽師安倍泰成。

「ここは宮中ですぞ!
下品なふるまい、つつしまれよ!!」

「これは失敬。青のご幣がどこに落ちたか、
全国の領主に調べさせ、
見つかった所に軍勢を差し向けるのです!今すぐに!!」

金毛白面九尾の狐とは

そもそも金毛白面九尾の狐とは、いかなるものか?

古くは天竺インドの耶端国(やたんこく)で
班足太子(はんそくたいし)の華陽婦人に化けて
太子をそそのかし、千人の王の首を取らせ、

唐土中国にわたっては、殷の紂王の夫人妲己となって
その美貌で王を骨抜きにして国を滅亡に追いやり、

さらに褒似(ほうじ)という美女に化けて
周の幽王に近づき、やはり、周を滅亡に追いやりました。

その後、遣唐使としてわが国から派遣された
吉備真備が帰国する際、積荷の中にまぎれこんで
日本に渡ってきたと伝えられます。

那須野の九尾の狐

「ううむ恐ろしい。
そのようなものが朕に取り入っていたとは…」

鳥羽上皇はすぐに陰陽師安倍泰成のすすめにしたがって、
全国に通達を出されます。青いご幣が落ちていなかったかと。

さて下野国那須野ケ原ではここ数日、領民が行方不明になる事件が
続いていました。

「何者のしわざだろう。もしや妖怪変化のたぐいか」

領主那須八郎宗重が人をやって調べさせると、那須野のほら穴に
人骨が散らばっており、入り口には都から通達のあった青い
ご幣が落ちていました。

「それだッ!!すぐに都に知らせなければ」

那須八郎宗重はすぐに自ら都に知らせるべく、館へ戻りますが、
そこで、とんでもないものを目にします。

「なによニセモノ!」
「あんたこそニセモノでしょ!」

自分の妻が、二人になって、ワアワアいいあっていました。

「あなた、早くこのニセモノを追い出してください」
「信じちゃダメ。こいつこそニセモノよ」

「ぬ…ぬぬぬ…」

いくら目をこすっても、那須宗重にはどちらが本物が見分けることができません。

「ええい、こっちは後回しじゃ。
今は先を急ぐ!!」

宗重は二人の妻を侍に監視させておいて、
馬にまたがり都へ駆け出します。

バカカッ、バカカッ、バカカッ、バカカッ

宝鏡の力で危機を脱する

ここは都。

鳥羽上皇は那須宗重の報告を受け、
陰陽師安倍泰成におききになります。

「あきらかに一方は九尾の狐が化けているのだ。
どうやれば見分けることができるのか」

「それならば、宮中に古くから伝わる宝鏡がございます。
この宝鏡に姿をうつせば、相手の正体がわかります。
この宝鏡を、宗重殿にお貸し与えてください」

陰陽師安倍泰成のすすめにより、那須宗重に鏡が下されます。

「よかった。これでなんとかなる。
さすがは陰陽師さまだ」

那須宗重はさっそく馬にまたがり、那須野に戻ろうとしますが、
その時、陰陽師安倍泰成が那須宗重を呼び止めます。

「もしかしたら道中、敵が何か仕掛けてくるかもしれません。
おかしなことがあったら、この山鳥の尾を輪にして、覗きなさい」

そう言って、陰陽師安倍泰成は那須宗重に
山鳥の尾を渡します。とても長い山鳥の尾です。
輪にすると、大人が両手でつくったくらいの輪になります。

那須宗重は京都を出て逢坂山を越え、
大津を越え、瀬田の唐橋にさしかかります。

その時後ろから

「おおーい宗重殿」

陰陽師安倍泰成が馬に乗り、大勢の馬に乗ったお供をひきつれて、
追いかけてきました。

「あれっ…泰成殿、どうされました?」

「いや、どうもこうもない。さきほどお貸しした宝鏡。
明日朝廷の儀式で使うことを忘れておりました。
まずは返されよ。明日、改めてお貸しいたします」

「はあ…?」

那須宗重はあやしいと思って、山鳥の尾で輪を作って
覗きました。すると、馬にまたがっているのは全身金色の
毛で覆われ、おしろいを塗ったように真っ白な顔で、
尾が九つに別れた金毛白面・妖怪九尾の狐でした。

「でやっ!!」

ズバアア

那須宗重はすぐさま太刀を抜き、九尾の狐に斬り付けると、
九尾の狐は一瞬で姿を消し、大勢引き連れていたお供も
消えてしまいました。

「あなた!あなたあああ!!」
「おお…お前、怖い思いをさせたね」

那須宗重が那須の館に戻ると、妻が泣きついてきました。
ニセモノは姿を消していました。それからは人が行方不明に
なることもなくなり、平和が戻りました。

「どうやら騒ぎはおさまったらしい…」

那須宗重は安心して宝鏡を朝廷に返しました。
しかし、九尾の狐はこの時を待っていたとばかりに、
ふたたび悪さをはじめます。

那須野に九尾の狐を追い詰める

「これ以上見逃すわけにはいかぬ。
朝廷の威信にかけて、
九尾の狐を追討せよ!!」

鳥羽上皇は房総半島の豪族、三浦義明・上総広常・
千葉常胤らに九尾の狐追討を命じます。
ちなみに後に源頼朝に従った人たちです。

そして陰陽師安倍泰成も那須野へ行くよう
命じられました。

「なんで私が那須野くんだりまで!…ぶつぶつ
こんな仕事は早く終わらせて湯元温泉に入ってノンビリしよう」

などと言いつつ、陰陽師安倍泰成は那須野ケ原の南の
黒髪山に儀式を行うための檀をもうけ、もんじゃらうんじゃら、
むんむんむんと、秘術の限りを尽くして祈ります。

東からは三浦義明が、西からは上総広常が、
北からは千葉常胤と那須宗重がそれぞれ数千騎を率いて
包囲網をせばめていきます。

もんじゃらうんじゃら、
むんむんむん…

ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、

もんじゃらうんじゃら、
むんむんむん…

ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、

安倍泰成の術によって妖術を封じられ、
三浦義明・上総広常・千葉常胤らによって
じょじょに追い詰められていく九尾の狐。ついに、

ギャヒーーーーー

一声上げて、皆の前に姿をあらわします。
目はらんらんと輝き、全身に輝く金色の毛を逆立たせ、
九つの尾を引いて、

ギャヒー
ギャヒー

那須野ケ原の上空をぐるぐると飛び回ります。

「くらえーーっ」

三浦義明が弓を引き絞り、ひょうと放つと、

ギャヒー

九尾の狐のわき腹に命中し、

続いて放った二の矢が

ギャヒー

九尾の狐の首筋を貫き、

「とどめだ!!」

ブウン

上総広常が長刀を振るって九尾の狐の首をはねとばすと、
首はゴロン、ゴロゴロンと転がります。

「やったか?」

その時!

ボカーーーン!!

「ぎゃあ!」「ひいい!!」

一瞬、あたりが真っ白な煙に包まれたかと思うと、
九尾の狐がいたあたりに、黒い大きな影があらわれます。

「な、なんだァ?」

次第に姿があらわれてきたそれは、
縦横4メートルもあろうと見える
巨大な石でした。

ぶしゅう、ぶしゅう!!

ひどい臭いのする煙を、あたりに撒き散らしています。
その臭いをかいだ侍たちは、

「うっ!」

バタッ、バタバタ…

次々と倒れていきました。

「ぐぬう。九尾の狐め。
死してなお、このような力が残っているとは!
退けっ、退けーーッ!!」

全軍は、退却するほかありませんでした。

玄翁禅師 那須野にあらわる

その後も巨大な石の姿となった九尾の狐は
周囲に毒ガスをまきちらし、近づく旅人を
次々と殺しました。いつしか殺生石と呼ばれるようになりました。

朝廷では何度も高僧を遣わし、殺生石の力を弱めようと
祈らせましたが、そのたびに命を取られてしまいました。

室町時代。

曹洞宗の僧・玄翁禅師が殺生石の話をきいて那須野を訪れます。

「お前が九尾の狐か。
その迷い、怨み、断ち切ってやるぞ」

玄翁禅師は那須野ケ原の殺生石を前に、
墨染の衣の裾をハタハタと風にはためかせながら、
一心不乱に祈ります。

そして、持っていた杖を振り上げ、、

「喝ッ!!」

殺生石に振り下ろしました。すると、

バッカーーン!!

殺生石は粉々に砕け、四方に飛び散りました。

その中からすーーっと美しい少女の幻影があらわれます。

「お前が九尾の狐だな」

「私が九尾の狐です。古くはインド、中国、そして日本と…
所を変え、時を越え、あまたの人を殺めてまいりました。
しかし、陰陽師安倍泰成さまによって討ち取られ、
いままた貴方様によって救われました。
ようやく楽になれます」

そう言って、すーっと姿を消しました。

玄翁禅師が殺生石を砕いたことから、
難いものを砕く金槌のことを「玄翁」と呼ぶようになりました。

その後…

しかし粉々に飛び散った後も殺生石のかけらは
なおも毒を発し続け、危険でした。

松尾芭蕉が那須野を訪れた時、
殺生石のまわりに蜂や蝶の死骸が砂が隠れるほど
おおっていた、と書いています。

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石の毒気(どくき)いまだほろびず、
蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。

松尾芭蕉『おくのほそ道』
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これら玉藻の前・九尾の狐・殺生石の伝説は謡曲『殺生石』で有名になり、江戸時代に四代目鶴屋南北作の歌舞伎『三国妖婦伝』の大当たりでいっそう広まりました。

解説:左大臣光永
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