顕宗天皇(一) 置目の老媼

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置目の老媼

ヲケノミコトこと顕宗(けんぞう)天皇は、
河内の近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)で
八年間天下を治められました。御子はありませんでした。
近飛鳥は大阪府羽曳野市(はびきのし)飛鳥の地です。

即位すると天皇は、殺された父オシハノミコの遺骸を
ほうぼうに人をやって捜させました。

父オシハノミコは暴君雄略天皇の怒りをささいなことから買ってしまい、
殺されたのでした。残された二人の王子オケノミコト・ヲケノミコトは、
牛飼いにまで身をやつして復讐の機会をうかがっていたのでした。

「父上。必ずお探しして、きちんとした弔いをいたします。
もう少し待っていてください」

すると、近江国の老婆があらわれ訴えました。

「父君の遺骸を埋めた場所は私だけが知っています。
父君は歯の形に特徴がありましたので、ほりおこせば、
すぐにわかりますよ」

父オシハノミコは歯が特徴のある八重歯でした。
すぐに遺骸をほり出し、父が殺された蚊屋野の東の山に
立派な陵を建てて埋葬し、臣下の者に陵の墓守をさせ、
その遺骨を持って河内へもどりました。

さて天皇は河内へお戻りになると、例の報告してきた
老女を召しだし、

「よくぞ知らせてくれた。それにしてもよく覚えていてくれたものだ。
父の弔いをすることができたのは、ひとえにそちのおかげじゃ」

さかんに老女をねぎらい、「しっかりと見ておいた老女」という意味の
「置目の老媼(おきめのおみな)」と名付けました。

天皇は置目の老媼をそのまま召し使うこととし、
宮の近くに置目の老媼の家を建て、毎日呼び出しました。

「置目の老媼を呼べ」チリン。
「置目の老媼を呼べ」チリン。

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毎日、毎日鈴を鳴らして、天皇は置目の老媼を呼び出しました。
それで天皇が作られた歌に、

浅茅原《あさぢはら》 小谷《おだに》を過ぎて 百伝《ももづた》ふ
鐸響《ぬてゆら》くも 置目《おきめ》来らしも

(浅茅原や谷を過ぎてはるばると鈴の音が響いているよ。
置目が来ているらしい)

こうして長年にわたって、置目は天皇にお仕えしましたが、
いよいよ年を取ったので、

「そろそろ私は引退させていただきます。
長い間、ありがとうございます。このご恩は忘れません」

「そうか、寂しくなるな」

天皇は涙ながらに歌っておっしゃるには、

置目もや 淡海《おうみ》の置目 明日よりは
み山隠《かく》りて 見えずかもあらむ

(置目や、近江の置目や、明日からは
山のむこうに隠れて、会えなくなってしまうのだなあ)

ブタ飼いの老人

天皇は、父オシハノミコが殺され、兄弟で逃げているときに、
物陰からあらわれた豚飼いの老人にわずかな食料をうばわれたことがありました。

「あの時の恨み。情けなさ。けして忘れぬ。
あの老人に、必ず思い知らせてやる」

そこで国中に人をやってブタ飼いの老人を探し出し、
飛鳥川のほとりにひっぱり出して、斬り殺しました。

一族の者はみな、膝の腱を断ち切りました。

≫つづき【顕宗天皇(二) 雄略天皇陵の破壊】

解説:左大臣光永

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