安倍晴明と一条戻り橋の鬼女

こんちには。左大臣光永です。
梅雨を通りこして夏めいてきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今日あたりは池袋の東武デパートの屋上の
ビアガーデン最高だなあと妄想しつつ仕事してます。

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さてこの商品に関連して、しばらく
平安時代の人物や事件、場所についてお話していきます。

本日は一条戻り橋にまつわる伝説です。

京都一条堀川の戻橋は、794年の平安京造営の時、
一条通の堀川に架けられた橋で、
その後何度も架け替えられましたが、現在も
ほぼ同じ位置にかかっています。さまざまな伝説に彩られた橋です。


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清明神社内 一条戻り橋のミニチュア
清明神社内 一条戻り橋のミニチュア

「戻り橋」名の由来

平安時代初期。

漢学者・三善清行(みよしのきよゆき)の八男に、
浄蔵(じょうぞう)という天台宗の僧がありました。

浄蔵は菅原道真の怨霊をしずめたり、
東山法観寺の八坂の塔がゆがんでいたのを直したことで有名な僧です。

延喜18年(918年)12月。

浄蔵が紀州熊野で修行しているところへ、父危篤の知らせが届きます。

「なんということだ。父の死に目に会えないなど、
最大の親不孝」

浄蔵はすぐさま京都に戻り、一条土御門橋までさしかかった時、
向こうから父の葬儀の列が進んできました。

「間に合わなかった!ああ、父上、父上ーーーッ」

子は、父の棺にすがりついて、泣きます。

「こんな、死に目にもあえないなんて。
あんまりだ。どうか父を、父を生き返らせてくだされーーっ」

その時、一天にわかにかき曇り、

ビカーーーーッ

強烈な雷鳴。そして!

ガタガタガタッ、バキバキバキッ、
バッカーーーン

棺桶の蓋を弾き飛ばして、むくりと上半身を起こすと、
父・三善清行はギギキと首を横に向け、

「息子よ…」
「父上ーーーッ!!」

ザアザア降りしきる大雨の中、父と子は見つめ合い、
ああと、抱き合いました。

浄蔵の強い願いが冥府に届き、
三善清行は一時的によみがえることを許されたのでした。

あの世から「戻る」ということで、
以後この橋は土御門橋あらため
戻り橋と呼ばれるようになりました。

淨藏、善宰相のまさしき八男ぞかし。
それに八坂の塔のゆがめをなほし、父の宰相の
此世の縁つきてさり給ひしに、一條の橋のもとに
行きあひ侍りて、しばらく觀法して
蘇生したてまつられけるこそ、
つたへ聞くにもありがたく侍れ。
さて、その一條の橋をば戻り橋といへる、
宰相のよみがへる故に名づけて侍り

『撰集抄』巻七「仲算佐目賀江水堀出事
(ちゅうざんさめがえのみずほりでごと)」

現在の一条戻橋は平成7年(1995年)に
架け替えられたものですが、
すぐ近くの晴明神社には、一条戻橋のミニチュアがあります。

京都 清明神社
京都 清明神社

清明神社内 一条戻り橋のミニチュア
清明神社内 一条戻り橋のミニチュア

安倍晴明と一条戻橋

安倍晴明は式神として十二神将を使っていました。
常に身の回りの世話をさせていたのです。

京都 清明神社の安倍清明像
京都 清明神社の安倍清明像

本を読む時も式神にめくらせて、
「次」「次」「ちょっと戻れ」などとやっていました。

「あなた、その式神…」

「ああ、便利じゃろう、お前も遠慮なく命ずるがよいぞ。
掃除でも、洗濯でも。買い物でも」

「私はその顔が怖いんです」

「顔か…。たしかに少し、人間離れしては、おる。
しかしまあ、式神であるから」

「であるから、ではありません。
私はその顔を見ると、恐ろしくて、神経が参ってしまうんです。
よそへやっといてくださいまし」

「何を言うか、わしの大事な式神を」

「いーーーえ、ぜったい、よそへやってください!!
じゃないと私もう、出ていきます」

「…仕方ない。わが式神たちよ。
妻がああ言っておる。ふだんはここで待機していてくれ」

「しゃあないっすねえ」
「俺たち、晴明さまの奥方さまに悪さなんて、絶対しないのになあ」
「今夜から野宿かァ…」
「晴明さま、なんかあったら、すぐに呼んでくださいね」

こうして安倍晴明は、十二の式神たちを
屋敷のそばの戻橋の下にかくしておき、
いざ仕事となると呼び出して召し使ったということです。
かの安倍晴明も奥さんには頭が上がらなかったのです。

一条戻橋と伝ふは昔安部(ママ)晴明が
天文の淵源(えんげん)を極めて、十二神将を仕ひにけるが、
其の妻識神の貌(かお)に畏れければ、
彼の十二神を橋の下に呪し置きて、用事の時は召仕ひけり。

『源平盛衰記』奴巻第十「中宮御産の事」

一条戻橋の鬼女

また、こんな伝説も伝わっています。

源頼光四天王の一人、渡辺綱はある晩、
主君頼光の使いで一条大宮まで行った帰り、
一条堀川の戻橋にさしかかると、
年の比二十歳ばかりの美しい女が立っていました。

「もし、私はこれから五条あたりまで行くのですけれど、
こんな夜中に、女の一人歩きは恐ろしいですわ。
馬に乗せていただけませんか」

「ああ、構いませんよ。
このへんは何かと物騒ですからな。さ」

渡辺綱は馬の上に女を引っ張り上げ、馬を歩ませます。

馬は夜の堀川通りを進んでいきます。

「あのもし」

「はい?」

「実は私、五条には行かないんです」

「えっ、五条には行かない?では、どこへ」

「都の外に行くのですわ」

「都の外…?」

どうも様子がおかしい。そう思いながらも渡辺綱は答えます。

「どこであろうと、お送りいたそう」

「まあ、たのもしいお言葉!!」

すると、後ろの乗っていた女はぎゃああっと鬼の姿に変化し、
ガッと渡辺綱の髻をひっつかみ、ひょほーーーーーっと
大空に舞い上がり、北西の方角目指して加速します。

「やはり、物の怪のしわざであったか」

渡辺綱、少しもさわがず、愛刀・髯切を抜き、

ぶんっ

「ぎゃあああああ」

鬼の腕を切り落とすと、

すーーーーーーーーー

どこおおぉんっ

鬼の腕は、北野の社の回廊の上に落ちました。

「ぐ、ぐぎゃあああああああ。
お、おぼえておれーーーーッ」

捨て台詞を残して鬼は

びゅーーーーん

愛宕山の方角へ飛び去っていきました。

しゅたっ

見事、着地を決めた渡辺綱。
その脇には、切り落とされた鬼の腕が転がっていました。

綱はこれを主君頼光のもとに届けます。

「なんと…鬼の腕とは奇怪な。
何事か祟りをなすやもしれぬ。
どうしたものか。そうじゃ!こういう時こそ
陰陽師さまに御相談しよう」

頼光が阿部晴明に相談すると晴明は、

「綱には七日間の暇を与え、物忌みをさせなさい」

こうして安倍晴明が封じた鬼の腕を持って、
渡辺綱は摂津渡辺の自宅に引きこもり、
物忌みをして「仁王経」を唱えていました。

「綱や、綱やーーー」

「あっ、母上」

そこへ入ってきたのが、綱の義理の母です。実の母以上に、
綱を大切に育ててくれた義理の母です。

「どうしたんですかいきなり」

「お前こそ何をやってるんだい。そんなお経を上げたりして
あっ…それは何、見せてごらんなさい」

「いけません、母上それは」

ガッ。

綱の養母は鬼の腕をひっつかむと、ぎゃ、ギャギャアアーーーン
たちまち鬼の姿に早変わり。

「しまった!」

あわてて弓矢を手に取る綱をよそに、鬼は館を飛び出し、
ぴゅーーっと飛びさってしまいました。

(屋島本『平家物語』剣の巻より)

というわけで、

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生涯学習の一環として、またお子さんやお孫さんに
歴史に興味を持たせる入口としてもどうぞ。
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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

解説:左大臣光永
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